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7月1日(日) しょうがない防衛大臣の「しょうがない」発言 [スキャンダル]

 今日から7月です。今年も、後半に入ります。アッという間の2007年前半でした。

 柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言、自殺した松岡農水大臣の「今どき水道水なんか飲んでる人はいないでしょ」発言などに続いて、またも問題発言の炸裂です。これだけ閣僚の暴言が続くと、“安倍暴言内閣”とでも言いたくなります。

 衆院長崎2区選出の久間防衛大臣は昨日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、米軍による原爆投下について「しょうがないなと思っている」と述べました。原爆投下を正当化する発言であり、厳しい批判が寄せられています。
 野党は久間防衛相の罷免を求めていますが、当然でしょう。このような人が防衛相であることは認められません。久間さんは直ちに辞めるべきです。

 今日の『毎日新聞』によれば、久間さんの発言は、概略、次のようなものでした。

 米国は日本が負けると分かっているのに、ソ連に参戦してほしくない。ところがなかなか日本はしぶとい。しぶといとソ連は参戦する可能性がある。国際世論もソ連参戦を賛成しかねない。ソ連が参戦して、ドイツを(東西)ベルリンで分けたみたいになりかねない。
 だから(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。これなら必ず日本も降参し、ソ連の参戦を食い止めることができるという考えだったが、(長崎に原爆が投下された1945年)8月9日に、ソ連が満州その他の侵略を始めた。
 幸い8月15日で終戦となり(日本は)占領されずに済んだが、間違えば北海道まではソ連に取られてしまう。その意味で、原爆を落とされて長崎は無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったのだ、という頭の整理で今、しょうがないなと思っているところだ。
 米国を恨む気はないが、勝ち戦と分かっている時に原爆を使う必要があったのかどうか、という思いは今でもしているが、国際情勢や戦後の(日本の)占領を考えると、そういうこと(原爆投下)も選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと(思う)。

 この発言は、原爆の被害にあわれた方々に対する冒涜です。原爆投下の事情についての歴史的知識もありません。
 原爆の使用を違法とする今日の国際政治の歴史的到達点を認識せず、「いかなる理由があっても原爆の使用は許されない」とする政府方針にも反しています。当然、核廃絶を目指す立場とも相容れないものです。
 このような点については、すでに多くの方からの幅広い批判が寄せられています。それは当然として、私がここで改めて問題にしたいのは、以下の点です。

 久間さんは、原爆投下について「しょうがないなと思っている」と述べました。どうして、「しょうがない」と考えたのでしょうか。その理由は何かという点を、掘り下げてみる必要があると思います。

 その第1は、「ソ連の参戦を食い止めることができる」から「しょうがない」と読めます。つまり、「北海道まではソ連に取られてしまう」から、原爆投下はやむを得なかったと言いたいのでしょう。
 ソ連の参戦と原爆投下とを天秤にかけ、原爆投下の方がましだとするところに、久間さんのイデオロギー的な立場が明瞭に示されています。「反ソためなら何でも許される、たとえ原爆投下でさえも」というのが、久間さんの立場なのです。
 しかも、「勝ち戦と分かっている時に原爆を使う必要があったのか」と久間さんも述べているとおり、すでに日本の敗戦は確実でした。日本の降伏によって作った原爆を投下するチャンスを失うことをおそれたアメリカは、2種類の原爆の性能を調べるために、わざわざ広島と長崎の2ヵ所に原爆を投下したのです。

 第2に、「これなら必ず日本も降参し」「あれで戦争が終わったのだ、という頭の整理」をすれば、戦争を終わらせるためには「しょうがない」とも読めます。つまり、さらに戦争が長引くよりは、原爆投下の方がましだったと言いたいのでしょう。
 安倍首相は、久間さんを弁護して「米国の(当時の)考え方について紹介したと承知している」と述べましたが、それはこの部分に関わっています。これは、“戦争を早期に終結させるための原爆投下”というアメリカの言い分をそのまま受け入れた発言にほかなりません。
 しかし、このような原爆投下に対する弁護論の誤りは、すでに明らかになっています。それを堂々と繰り返す久間さんも、その発言を批判すらしない安倍首相も、いつからアメリカの代弁者になったのでしょうか。

 第3に、「国際情勢や戦後の(日本の)占領を考えると、そういうこと(原爆投下)も選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと(思う)」と発言しています。この部分は、「戦争になった場合」には原爆投下も「しょうがない」と読むことができます。
 それは過去においてなのか、将来に向けてもなのか、がハッキリしませんが、もし、将来においても、「そういうこと(原爆投下)も選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかな」と考えているのであれば、ことは重大です。過去の原爆投下を正当化するだけでなく、将来における原爆使用をも認めたことになるからです。
 被爆地・長崎から選出された代議士で、唯一の被爆国・日本の防衛大臣として、誰よりも強く原爆の恐ろしさとその廃絶を訴えなければならない立場であるにもかかわらず、こともあろうに、将来の戦争での原爆の使用を認めるような発言をしたということになります。長崎の人々や日本国民に対する、これほどひどい裏切りはないでしょう。

 今日の昼、久間防衛相は長崎県島原市内で記者会見し、原爆投下を「しょうがない」と発言したことについて「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば申し訳なかった。これから先は講演で言ったような話はしない」と陳謝し、発言を事実上撤回しました。しかし、これで一件落着というわけにはいきません。
 政治家の言葉は重いものです。一度、口に出したら、もう2度とは戻らないのです。
 発言を撤回したからといって、その発言によって示された久間さんの考え方自体が変わっていないのであれば、もはや防衛相としての資格はありません。発言の撤回だけでなく、辞職するべきでしょう。

 それにしても、情けないのは安倍首相です。またもや、これほどの問題発言をした久間防衛相をかばい、発言を不問に付しました。
 核兵器については、安倍さん自身、官房副長官時代に「小型であれば原子爆弾の保有も使用も問題ない」と発言した“前科”がありますから、それも当然かもしれません。それに、久間発言のどこが問題なのか、おそらく安倍首相には理解できないのでしょう。
 相次ぐ暴言も問題ですが、そのような人物を選んで閣僚に任じた安倍さんの人を見る目の無さも呆れるばかりです。「論功行賞」のために、このような人たちを周りに集めて“暴言内閣”を作った安倍首相の責任こそが、今、問われなければならないのではないでしょうか。

 なお、これまで、HPで掲載してきた論攷を再掲して欲しいとの要望がありました。HPのデータの復元については、可能な範囲で、これから追々と行っていくつもりです。今しばらく、お待ち下さい。