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赤城農相よ、お前もか!? [スキャンダル]


 昨日は研究所叢書『「戦後革新勢力」の源流』の公開合評研究会があり、久しぶりに法政大学の市ヶ谷キャンパスに行きました。研究会には、叢書の執筆者など20人弱の方が出席され、荒川章二静岡大学情報学部教授、兵頭淳史専修大学経済学部准教授、高野和基二松学舎大学国際政治経済学部教授の3人のご報告を基に、濃密な議論が展開されました。

研究会が終わってから、いつものように、荒川さんや兵頭さんと一緒に2次会に行きました。元大原社研の兼任研究員だった高野さんは、残念ながら、所用があって中座されました。
 荒川さんは、かつて大原社研の兼任研究員としての同僚であり、一緒に『社会・労働運動大年表』を作った仲です。久しぶりに一杯やり、旧交を温めることができました。
 席上、安倍政権のゴタゴタや参院選の見通しが話題になったときです。私の向かい側におられた犬丸義一先生が、「それは『日経新聞』のスクープだね。帰りに買わなくちゃ」と仰います。この日の『日経新聞』の一面に、「赤城農相の政治団体 親族宅に事務所、経費計上」「実体なく、10年で900万円」という記事が出ていることを、私が話したからです。

 この記事を見たとき、「またか!?」と思いました。「これは大きな問題になる」とも……。
 このような調査記事を、政府に近いとされる『日経新聞』がスクープしたのも意外でした。それだけ、安倍内閣に対する眼差しが、厳しく冷たいものになってきているということでしょうか。
 安倍首相も、「赤城農相よ、お前もか!?」と言いたい心境でしょう。しかし、その赤城さんを松岡さんの後任として農相に据えたのは安倍さん自身です。文句を言ってみても、それは自分自身に返ってくるだけでしょう。

 赤城さんについては、家賃のいらない議員会館に自分の政治資金管理団体を置いて年間1000万円を超える事務所費を計上していたことがすでにバレていました。今回明らかになったのは、その上、実家を事務所として10年間に9000万円以上の多額の経常経費が計上されていたという事実です。
 さらに、東京都世田谷区にある赤城農相の妻の親族宅も政治団体「徳政会」の所在地になっていました。ここでも、10年間に毎年百万円以上、計約1500万円の経常経費が計上されています。
 つまり、赤城農相は、議員会館、実家、妻の親族宅の3ヵ所について、何に使われたか分からない経費を記載していたことになります。その総額は、過去10年間で億を超える金額になるでしょう。

 赤城農相は「付け替えとか架空のものでは決してない」「合算して計上すべきものは計上している」と繰り返しながらも、領収書の公表は拒んでいます。このような説明を裏付ける何らかの証拠がなければ、説明自体、「架空のもの」といわざるを得ないでしょう。
 これに対して、安倍首相は「赤城氏はしっかりと説明をしたと聞いている」と述べ、またも、かばうような姿勢を示しています。これまでの失敗から何も学んでいないということでしょうか。
 事務所費をめぐっては、佐田玄一郎前行政改革担当相が昨年12月に辞任し、不透明な光熱水費を国会で追及された松岡利勝前農相が5月に自殺しています。この松岡さんの後任に就任した赤城さんの事務所費についての疑惑は、佐田さんや松岡さんの場合と問題の性質において何ら変わりません。

 このような形で同じような問題が次から次へと出てくることに呆れるばかりです。それだけ深く、「政治とカネ」の問題が自民党政治家を幅広く汚染しているということになります。
 今回の赤城さんについても、松岡さんの後任ですから、それ相応の「身体検査」が行われたはずです。それなのに、このような形で表面化するまで分かりませんでした。
 このような形での会計処理がそれだけ一般化しており、「普通のこと」と考えられていたのかもしれません。これだけ「政治とカネ」の問題が注目され、佐田さんの例や松岡さんの例がありながら、それと同じようなことをやっているのに問題なしと思っていたとすれば、赤城農相の感覚は完全に麻痺していたということになります。それだけでも、政治家としては失格です。

 また、「政治とカネ」の問題をめぐっては、先の通常国会で政治資金規正法の改正案が6月29日に成立しました。これは、資金管理団体に限って1件5万円以上の経常経費に領収書を添付することや土地、建物の取得禁止を明記しています。
 しかし、野党からは「抜け穴が多い」との批判が強く、この改正がどれほどの効果を持つかが疑問視されていました。今回の事件は、この「改正」によっても防ぐことはできず、やはり、「改正」は形だけで、実効性を伴わない「ザル」であったということになるでしょう。

 問題は、事務所費として計上されたお金が、一体、何に使われたのか、ということです。使い道についての疑惑を晴らすためには、領収書など使途を明示する証拠を示せば済むはずです。
 しかし、佐田さんは大臣の椅子を失うことになっても、そうしませんでした。松岡さんも、使途を明らかにすることよりも自らの命を絶つ方を選びました。
 そして、赤城さんです。地元の支援者や実家の母親が「事務所として使われていない」と言っているのに、ただ言葉で反論するだけで、何一つ証拠を示そうとしていません。

 おそらく、疑惑の事務所費の使い道を示す証拠は無いのでしょう。というより、使い道を示すことのできない支出を処理するために、その内容を示す必要のない事務所費という費目が利用されたのだと思われます。
 事務所費という名目の下に隠されたお金の使い道は、永遠の秘密として秘匿されるべきものにちがいありません。その秘密は、佐田さんにとっては大臣の椅子よりも、松岡さんにとっては自らの命よりも、ずっと重いものだったのでしょう。

 この問題が、参院選の後ではなく、前に明らかになったのは幸いでした。事務所費の疑惑に対して赤城さんがどう対応しようと、それを安倍首相がどう処理しようと、それについての私たち自身の審判を直ちに下すことができるのですから……。
 国民の不安を高めている「宙に浮いた年金」、定率減税の廃止による増税とここに来て急浮上してきた消費税率の引き上げに加えて、「政治とカネ」の問題もまた、参院選での争点に一つにしなければなりません。積年の膿を出して政治の闇をはらう機会は、間近に迫ってきています。


CTWの結成は「CIOの形成」の再版なのか [論攷]

〔以下の論攷は、長沼秀世「CIOの形成-組織原理の対立」『日本労働研究雑誌』第562号、2007年5月号、に対する私のコメントです〕

 1930年代におけるCIOの成立は、「今日のChange to Winの結成とは様相を異にするのではなかろうか」というのが、長沼論文の要約的結論である。かなり異なっているという結論については、私も同感だが、同時に似た点もないわけではない。以下、これらの問題を中心にコメントしたい。なお、「勝利のための変革(Change to Win)」については、CTWと略記する。

「CIOの形成」との相違と類似

 長沼論文が指摘する両者の違いは、第1に「CIOはAFLの組織原理とは異なる新たな組織原理を掲げて新組織を設立した」こと、第2に「短期間に行われたのではなく、数年もの歳月をかけておこなわれた」ことの2点にある。
 第1の組織原理についていえば、AFLの熟練工による「職能別組織原理」に対抗してCIOは非熟練・半熟練工を中心とした「産業別組織原理」を掲げていたという点で、両者には明確な違いがある。しかし、今回の分裂においては、組織化の必要性そのものについてはAFL・CIOも認めており、95年に成立したスウィーニー執行部もそれなりの努力を行ってきた。したがって、今回は組織原理上の対立というよりも、組織政策上の対立という面が大きい。
 同時に、見ておかなければならないのは、このような対立の背景には産業構造上の変化とそれに対する既存の労働組合の対応の不十分性という共通の問題が存在しているという点である。1930年代においては、「自動車製造や鉄鋼生産」のような機械中心の大量生産工業が拡大し、そこに働く労働者を組織するという点でAFLは十分に対応できなかった。同様に、今日、製造業中心からサービス業中心へと産業構造が転換し、そこに働く移民や女性などマイノリティの労働者の組織化に成功していないという問題がある。
 第2に、分裂に至る期間の問題だが、これについても似た面がないわけではない。長沼論文は、CIOの結成が「今回のように数ヶ月という短期間におこなわれたのではなく、数年もの歳月をかけておこなわれた」ことを指摘している。たしかに、対立が表面化したAFLの35年大会から38年秋のCIOの成立までには3年余の期間があった。ただし、05年6月15日の「勝利のための変革連合(Change to Win Coalition=CWC)」の発足から9月27日のCTW結成大会までには数ヵ月しかないが、このCWCは「新たな団結のためのパートナーシップ(New Unity Partnership=NUP)」という組織を母体にしており、それは02年に結成されていた。つまり、今回の場合も、実際には「数ヶ月」ではなく「数年」の経過があったということもできる。
 このように、長沼論文が指摘する点に限っていえば、前回と今回との違いはそれほど大きなものではない。実は、大きな違いは、これ以外の点にあるように思われる。それは、分裂した両組織の亀裂の深さが全く異なっているという点である。

大きな相違は亀裂の深さ

 長沼論文が指摘するように、組織分裂に至る対立が激化するのはAFLの35年の大会だったが、このような意見の違いは33年頃から表面化していた。また、35年大会での対立は激しく、委員長同士の殴り合いや代議員間の「もみあい」などで「議場は混乱した」。そして、この大会の3年後、38年にCIOは正式に結成されている。
 今回のCTWの結成にあたっては、このような抗争や混乱はなかった。それどころか、全米農業労組(UFWA)や国際建設労働組合(LIUNA)などは、CTWが結成された時点ではAFL・CIOを脱退していない。また、AFL・CIO側からの排除や除名もなかった。
 それどころか、CTWが結成される前から、棲み分けと協力に向けての動きが始まっていたのである。例えば、AFL-CIOで最大の組合であるアメリカ州郡自治体従業員組合連合(AFSCME)は9月19日、SEIUとの間でお互いの組織化活動を妨げないとの2年間の相互不可侵協定に合意した。また、両者はカリフォルニア自宅介護労働者組合AFSCME/SEIUを新たに設立すること、カリフォルニア州とペンシルヴァニア州での自宅保育労働者の組織化にも共同で取り組むことを決めている。
 また、地方組織のレベルでも、AFL-CIOとCTWの共闘に向けての動きがあった。11月16日に明らかにされた「連帯加盟許可証プログラム」導入の検討がその一例だが、これは、AFL-CIOが連帯加盟許可証を発行すれば、他のAFL-CIO加盟組合と同率で頭割の費用負担を前提に、CTWに属する地方労働組合も地方組織の活動に参加できるというものである。
 さらに、06年5月9日、AFL-CIOとCTWは11月に行われる中間選挙での共闘について暫定的な合意に達したことを明らかにした。これに基づいて、両組織は「全国労働協調委員会」を設立して基金を組合員から集め、専任の担当者を置き、有権者登録運動、電話やメールでの投票依頼などの活動を展開した。中間選挙における上下両院での民主党の勝利の背景には、このような労働組合の共同の取り組みがあった。
 確かに、CTWの結成はAFL-CIOの分裂であり、両者の間には亀裂がある。しかし、それは完全な断絶や対立を生み出しているわけではなく、そこには一定の棲み分けと協力・提携関係が存在している。AFLからのCIOの分裂とは、この点で極めて大きな違いがあると言えよう。

AFL-CIOによる自己変革の試み

 さらに注目すべきことは、CTWの結成がAFL-CIOの側の自己変革を促しているということである。これには組織防衛という面があるとはいえ、注目される動きである。
 CWCが結成された直後の7月の大会で、AFL-CIOは組織化に2300万ドルを投入し100万人の組合員教育を行うことを決め、ウォルマート、コムキャスト、クリアチャンネル、トヨタという多国籍企業4社を組織化のターゲットに挙げた。これは、組織化活動の強化を求めたCWC(CTW)の要求に、それなりに応えようとする試みだったと言える。
 また、06年8月9日、AFL-CIOは不法移民を含む日雇い労働者を支援する全米日雇い労働者ネットワーク(National Day Laborer Organization Network=NDLON)との連携を発表した。これはこれまでのAFL-CIOの活動方針からすると大きな転換であり、不法移民の組織化に積極的に取り組むCTWとの競争に直面し、生き残りをかけて方針転換を迫られたためと見られている。
 アメリカの労働組合の組織率は1933年に5.4%(民間)だったが、1945年には22.4%(同)となった。このような組織率急上昇の背景には、CIOの結成と活発な組織化活動があった。これと同様の成果がCTWの結成と組織化競争によってもたらされるかどうかは分からない。
 しかし、06年1月20日のアメリカ労働統計局(BLS)の発表によると、05年のアメリカの労働組合組織率は12.5%で横ばいとなり、組合員数は約1570万人と前年比で21万3000人増えている。下降が続く中での横ばいは1999年以来であり、組合員数が増えて組織率の低下に歯止めがかかったということもでき、希望のもてる兆候だとは言えるだろう。

歴史は繰り返される?

 CTWの結成はAFL-CIOの分裂を招き、アメリカ労働運動の力を低下させたかもしれない。しかし、それはマイナスばかりではない。両ナショナルセンターの競争と提携・協力によって、プラスの効果を生み出す可能性も孕まれている。この点で、「アメリカ労働運動の停滞傾向にある程度の歯止めを掛けることになると期待してよいのではなかろうか」という長沼論文の評価に、私も賛成である。
 しかも、中間選挙で民主党が勝利した結果、労働運動をめぐる政治的環境が変化した。労働組合の政治活動にも一定の効果が期待でき、それが労働組合の組織化にプラスになる可能性もある。次期大統領選挙に向けて、AFL-CIOとCTWの協力・共同の余地も拡大するであろう。
 もしそうなれば、AFLとの再統合を実現したCIOの歴史が繰り返されることになろう。AFL-CIOのスウィーニー会長も「再び統合できるよう、今後も努力していきたい」(『連合』06年9月号)と述べている。おそらく、それは遠くない将来のことであり、少なくとも、AFL-CIOが結成されるまでにかかった20年もの歳月を必要としないのではないだろうか。

(『日本労働研究雑誌』第562号、2007年5月号、所収)