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労働法制の規制緩和と日本の労働者の働き方  [論攷]


はじめに

 今日は、「労働法制の規制緩和と日本労働者の働き方」ということで、話をさせていただきます。先般、明らかにされた労働契約法案の内容、特に、ホワイトカラー・エグゼンプションの問題について、それが日本の労働や労働組合運動にとってどのような意味をもっているのかということに焦点を当てて、お話しします。
 私は、この問題を、大きな歴史の流れの中で、また、日本の労働者の働き方の現状を踏まえると同時に、国際的な視野も交えてお話ししたいと思っております。皆さんの手元にはすでにレジュメがいっておりますが、だいたい四つの柱になっています。これに沿って話をさせていただこうと思っています。

Ⅰ。本格化する労働法制の規制緩和

■ 「労働ビッグバン」の提言

 まず初めに、本格化する労働法制の規制緩和について取り上げることにします。ちょうど、このレジュメを作っているときに、「労働ビッグバン」という問題が出てきました。これは大変大きな問題で、これから本格化します。
 これを打ち出した経済財政諮問会議は、首相の下に置かれている戦略的な政策決定機関です。今までは経済運営や財政問題についてのさまざまな規制緩和策、いわゆる「構造改革」に関する政策決定を行い、それをトップダウンで実施させるために各省庁に降ろしてきました。これを、今度は労働行政について行おうというわけです。中心になっているのは、御手洗日本経団連会長ら民間から選出されている4人です。とくに、一番の元凶が八代尚宏という人です。国際基督教大学の教授ですが、この方が中心になっている。
 この4人が中心になって、11月30日に「労働ビッグバンと再チャレンジ支援」という報告書を出しました。内容は、派遣法を中心とした労働法制の見直しです。なかには最賃制度もあります。今までこれを切り下げる方向で議論があったわけですが、どうも生活保護水準まで引き上げるという報告が出てくるようです。
 少子化問題がかなり大きな政策課題となってきていますので、育児サービスの充実なども含まれている。そのほか、正社員の解雇条件や賃下げの条件を緩和する。これは非正社員との格差是正という名目でやられようとしているわけです。

■ 二つの背景

 この問題を考える上で重要なのは、二つの背景が混在しているということです。つまり、労働者にとってマイナスの背景とプラスの背景があります。一つは、アメリカからの新自由主義的政策の押しつけです。これは後でも触れますが、労働の規制緩和の歴史を振り返ってみますと、だいたい93~94年ぐらいからこういう方向が強まってきます。1992年には盛田昭夫さんが「日本型経営が危ない」という論文を発表し、今までのやり方に対する反省を述べたことがありました。もう少し、働き方を人間らしいものに変えていく必要があるのではないかという問題意識を示したことがあったんです。
 ところが、あっという間にこれはひっくり返ります。その背景には、93年の宮澤・クリントン会談があり、94年から「年次改革要望書」が出されます。これは、すでに皆さんよくご存じだと思いますけれども、毎年、アメリカから日本に対して規制緩和の圧力がかかってくる。これを背景にして、さまざまな分野での規制緩和、新自由主義的な政策が具体化され、そういうなかで、労働の分野での見直しも始まるわけです。
 これは今も続いています。労働契約法や日本型エグゼンプションについても、2000年から始まっている「日米投資イニシアチブ」の中で日本に対して要望される。さらに、日本にはアメリカ商工会議所というのがあります。ここからも、さまざまな形で圧力がかけられてくる。こういう背景を持っています。
 もう一つは、小泉「構造改革」によって露呈した問題の解決。規制緩和を進めてきた結果、いろいろな問題が起きてしまいました。とくに、最近問題になっているのは格差の拡大、貧困化の問題です。こういう問題を見過ごすわけにはいかない。一方では、「構造改革」は受け継ぐけれども、他方では、その結果として生じた問題について是正しなければならない、何とか対応しなければならない。こうして出てきたのが「再チャレンジ」です。それを言うなら、もともと「チャレンジ」できるような仕組みを作ればいいわけですが、もとは変えられないというわけです。
 「構造改革」の結果、日本はガンに冒されたようになって、体の表面にまで腫瘍ができてきた。この“できもの”を、安倍首相は切除するのではなく、上から絆創膏を貼ろうというわけです。だけど、絆創膏を貼ったって、“できもの”はなくなりません。結局、抗がん剤を服用するか、がんの摘出手術をしなければならない。構造改革自体の転換が必要なのですが、それが安倍さんにはできません。
 同時に、国際的な圧力もあります。ILOは現在、ディーセント・ワークというものを掲げています。ディーセント・ワークというのは日本語にしにくいのですけれども、ディーセントというのは「尊厳ある」という意味で、人間らしい、労働法によってきちんとバックアップされた働き方ということです。これを世界各地に広めていこうというのが、ILOの目標になっています。そういう面からすれば、日本の働き方は大変大きな問題を抱えています。インフォーマルセクターをなくしていこうというわけですが、日本の非正規雇用者はほとんどインフォーマル化しています。このような、現実に生じている問題を解決しなければならない。いま出てきている労働政策の中には、これらの問題解決のためのものもあります。全部が全部、悪いというわけではありません。
 たとえば、非正規雇用者の待遇改善があります。参議院選挙に向けての票目当てでしょうが、非正規雇用者は働く人の約3割で、1663万人もいますから、無視できないんです。ですから、非正規雇用の待遇改善や均衡処遇を実現するという方向を打ち出さざるを得なくなってきている。
 この両方を見なければいけない。選り分けていかなければなりません。あるいは、餌をまいてくる。かなりの妥協案を出してきたりすることもありますから、ここのところを見極めて、きちんとふ分けをする。それぞれの政策の背景や意味をきちんと見極めなければ、プラスになるものに反対したり、餌に食らいついて大きな間違いを犯したりということになりかねません。この辺については、私などの話を聞いて、きちんと学習していただきたい。こういうふうに思うわけです。ちょっと手前みそのPRを入れましたが(笑)。

■ 二つの手法

 それでは、このような見直しを、どういうふうにやろうとしているのでしょうか。二つの手法があります。一つは、現行の法や制度によって非合法化した現状を是正するのではなく、法や制度のほうを変える。これは労働問題だけではありません。一番典型的なのは憲法です。歴代の自民党政権によってズタズタにされた憲法9条を、現状を変えるのではなく、憲法の方を変えようとしています。
 防衛庁を省に格上げして、海外派兵を「本来任務」にしようとしています。専守防衛なんて、もはや穴だらけ。バケツに穴が開いているから、穴をふさごうというんじゃないんです。バケツの底を取っちゃおうということです。それでは、水がくめないじゃないかと思われるでしょうが、もう水をくむつもりはないんです。自衛隊を外国に送って、「外征軍」としてアメリカと一緒に戦争させようというわけです。憲法の規範をどんどん踏み越えて、最終的に憲法を変えちゃおうというのです。
 日本経団連会長の御手洗さんは、ひどいことを言っています。キヤノンの会長さんですけれども、キヤノンの偽装請負が問題になったら、あれは法律が悪いんだ、法律の方を変えなさいと言っているわけです。めちゃくちゃです。後で触れる、ホワイトカラー・エグゼンプションだってそうです。サービス残業が摘発され、何百億と支払わなければならない。これに対して、それなら法律のほうを変えて、非合法であるものを合法化してしまう。こういうやり方です。
 もう一つは、低いほうの水準に合わせることで格差を解消するということです。格差があるというのでどんどん低い方にいく。公務員の年金が高く、民間の年金は低い。民間の年金じゃ生活できないと言いながら、公務員の年金を下げて民間の年金にあわせようじゃないかというわけです。そんなことをしたら、みんな生活できなくなっちゃう。
 こういうことをやっていますと、問題が解決されないどころか拡大する、拡散するということになります。ここのところが問題です。憲法を変えれば、あるいは法律を変えれば、さしあたり憲法や法律の規定からすれば違法ではなくなる。それこそ合法化されるかもしれませんが、問題そのものは解決しません。穴が開いて水をくむ効率が悪くなったからということで、バケツの底を取っちゃったら水がくめなくなってしまうわけです。水をくめないバケツは、バケツとしての役に立たない。人間らしい労働と生活を実現するうえで、憲法や法律は無力になってしまう。これからの日本は、そういう世の中に変わっていく可能性が高いということです。

■ 背景にあるのはアメリカからの圧力

 どうして、こんなふうに変えようとしているのか。誰がそれを望んでいるのか、というのが、ここでの問題です。それはアメリカだということです。アメリカからの圧力というのは、これまでもずっとありました。それが強まっています。日本の現在の「構造改革」も、軍事大国化も、労働法制の改編も、みんなアメリカ発です。アメリカは、何故、圧力を強めてきているのか。日本を弱体化させようとしているからです。
 思い起こせば、今から30年ほど前、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われたことがありました。日本は世界で1番だと、こう言われた時代があったんです。この題名の本が出たのは79年でした。2度の「石油ショック」をそれなりに乗り切り、80年代に入りますと日米貿易摩擦が生まれます。同時に、防衛問題での分担要求も出てくる。
 アメリカは貿易摩擦と防衛分担のリンケージ作戦を取ります。つまり、日本の貿易力、経済力を弱体化させようという作戦です。そのために、「もっと防衛面で分担しなさい」と圧力をかけてきたんです。このような圧力は80年代の間、ずっと続きました。典型的なのは日米構造協議です。金融市場の開放も迫られる。アメリカは日本を経済的なライバルと考え、その力を削ごうとしたわけです。
 90年には、「ソ連・東欧の崩壊」がありました。アメリカにとっては、政治的・軍事的な敵がなくなったわけです。代わりに“敵”として意識されたのが日本でした。日本は経済面での最大の強敵だと考えられた。これを何とかしたいということで、その後、長期にわたる“日本弱体化戦略”を改めて構想したのではないか、というのが私の仮説です。
 それが先ほど言った、例えば94年からの「年次改革要望書」という形で、新自由主義的な政策の採用を迫る。防衛分担をバージョンアップさせ、日本の軍事大国化を系統的に強いるような形で圧力をかけてくる。包括的で全面的な圧力のシステム化が始まっていくわけです。そういう中で、日本は新自由主義的な政策を採用していく。そのはしりは中曽根さんの政策ですけれども、96年からの橋本内閣の6大改革などはその典型です。その後、小渕、森内閣と若干後退しますけれども、2000年の小泉内閣から新自由主義的な政策が全面的に展開されます。
 先ほど、92年に反省があった、つまり日本型経営ではやっていけないのではないかという形で行き詰まり感があったと言いましたけれども、このときの脱出路は二つありました。アメリカ型か、ヨーロッパ型かということです。ヨーロッパ型というのは社会民主主義的な方向であり、アメリカ型というのは新自由主義的な方向だったわけです。左に行くか、右に行くか。結局、アメリカの圧力で右のほうに行っちゃったということです。
 その結果、どうなっているか。OECDなどの統計を見ますと、経済的・社会的パフォーマンスは明らかにヨーロッパ、とりわけ北欧がダントツです。アメリカと日本はひどいものです。貧困率で言えば、アメリカと日本は1、2位を争うような形になっています。いろいろな統計を見ても、北欧の優位は一目瞭然です。日本は、あのとき大きな間違いを犯したのです。
 90年代のはじめ、それまでのあり方を改めて新たに向かうべき方向としては、本当は、北欧型の福祉国家の方に行くべきでした。アメリカに引っ張られてしまったために、大きく間違えた。アメリカにくっついていれば大丈夫だという、一種の信仰にも似た対米従属思考のせいです。日本の支配層は、このような思考から脱却できなかったということでしょうか。
 結局、その後ずっとアメリカの言うがままにやってきたわけです。今や、自衛隊は海外に出て行って、アメリカのお手伝いをしている。いまだに、航空自衛隊はイラクで物資を運んでいますし、インド洋では海上自衛隊の補給艦がいます。インド洋くんだりで「なに、油を売っているのか」と思いましたら、“売っている”んじゃないんです。“ただ”であげているんです。経費は500億円だそうです。こういうことをやるような政府は、“背任罪”で訴えたい。これは国民の税金でしょう。何をやっているのかと思いますけれども、こういう状況になってしまっている。

■ 技術的基盤の脆弱化

 一番大きな問題は、日本の技術力を支えてきた優秀な労働力がどんどん劣化しているということです。これはアメリカの“思うつぼ”です。後でも触れますが、国際競争力をつけるといった場合、日本はコストで勝負することはできません。一昨年の夏、中国の東北部に行きましたが、缶ビール350ml入りを一つ1元で売っているんです。中国の場合は衣食住が安い。したがって、労賃も安い。ここと競争しようと思ったら、コストの引き下げ競争に巻き込まれてしまう。そうなれば、日本の労働者は死んでしまいます。
 かつての日本の競争力は、コストだけではなかった。品質の高さ、品質の良さ、ニーズに対する即応性、高付加価値、あるいは独創性です。外国人の考えもしないようなものを創り出す。歩きながら音楽を聴くなどということは外国人は考えませんが、日本人はウォークマンを作っちゃうわけです。こういう形で新しい製品を作っていく。これが技術開発力です。これからも、ここのところで勝負しなければならない。
 ところが、教育がズタズタ、非正規雇用が増える、成果主義で周りはみんな競争相手、「団塊の世代」がリタイアするということで技能継承ができない。コスト削減重視で技術研修もろくにやらない。だから、大型の労働災害が起きたり、日本を代表する巨大企業が大チョンボを引き起こしたりしています。松下電器の温風機では死人まで出ました。それからソニーです。驚きました。パソコンのバッテリーの不具合で世界中でリコールです。
 かつて、日米貿易摩擦で問題になった家電、その後はIT産業ではありませんか。まさに、アメリカにとって“敵”だと思われていた産業が、次々とこけている。こういう状態になってきているわけです。今は自動車です。アメリカ市場でトヨタはついにフォードを抜いて、GMに続いて第2位になりました。2兆円の利益を上げている。そのトヨタまで、一部リコールやっています。こういう日本を代表する製造業の技術的な基盤が非常に脆弱化している。
 脆弱化のもう一つの背景は教育です。ちゃんと学校で教えるべきことを教えていないという問題があります。高校の履修偽装問題がありました。国際化しているのに世界史を学んでいない。グローバル企業で世界に展開するとき、世界史の知識がない社員がごろごろいるということです。IT化、情報化が進んでいるのに、情報という科目、大学入試の勉強の邪魔になるからということでやらない。
 たとえば、文化的な独創性という面で、日本は非常に大きな製品開発能力を持っているわけです。ジャパン・ポップスとかジャパン・アニメとか、文化的なコンテンツにも優れたものがあります。こういう能力を高めるためには、音楽の授業や美術の授業が重要なのに、入試にいらない、邪魔だということでやっていない。何を考えているのか。ここのところでこそ、日本は外国よりも強い競争力を培わなければならないんです。やるべきことと、現にやっていることがまったくあべこべではないでしょうか。

■ 労働の排除

 こういう形で、アメリカの狙い通りになってきている。そのための規制緩和ということですが、その対象になっているのは主に労働市場政策です。使いやすい労働力を大量に生み出そうというわけです。しかも、最近では労働時間や賃金にこれが波及してきている。問題はもう一つありまして、政策形成のプロセスの問題です。このような労働市場政策の基本的な方向が、総合規制改革会議や規制改革・民間開放推進会議で出てきているという点です。
 「労働ビッグバン」にとりくむという経済財政諮問会議の方針もそうですけれど、労働界の代表は1人も入っていない。一番典型的なのは総合規制改革会議です。2001年から2004年まで内閣府に設置されましたが、経済界10人で学者が5人。その10人にはイー・ウーマンとかザ・アールとかリクルートなどの人材開発、人材派遣、人材情報の会社の社長さんが入っている。そして、労働の規制緩和ということで派遣がどんどん拡大していく。こういうことをやってきたわけです。自分たちが望むような方向で、やりやすいような形で、法律のあり方を変えていく。そこで旗を振っていたのは、関係する会社の社長だったということです。これからだって、そういうことになっていくと思います。
 そもそも、労働に関する政策形成は3者構成でなければならない。これはILOで決まっているんです。ILOは政・労・使の3者構成です。日本の労働政策だって、厚労省にある労働政策審議会などの3者構成の諮問機関、審議会で作成されてきた。ちゃんと労働の代表も入っている。いま、労働契約法は労働政策審議会でやっているから労働の代表が反対できるわけです。何とかストップをかけているわけです。労働の代表が入らなければ、さっさと進んでしまう。こういう可能性が非常に高くなっているということです。
 このようななかで、一つの注目すべき変化が生じました。それは連合の“転換”です。1989年に新しいナショナルセンターの連合ができたとき、政策・制度要求運動をやる、これからは大衆闘争ではなく政策参加であると言っていました。ところが、政策形成の場から連合の代表も排除されちゃった。主要な戦略的政策形成機関から排除されたため、連合はどうしようもない。「何だこれは」ということで、いろいろな大衆運動に取り組むようになりました。
 ときには、全労連などと一緒に国会の前に座り込んだり、厚労省に圧力をかけるための集会を開いたり、こういうことをやるようになりました。部分的ではありますけれども、「同時多発的行動」をとるようになった。同時多発的行動というのは、全労連と一緒にやるよということです。連携はしないけれども、一緒にやる。たまたまそこに一緒にいたという形で共同闘争を展開する、こういうふうに変わってきたわけです。
 しかも、最近では、「構造改革」の結果として多くの問題点が露呈してきました。産業基盤の崩壊と経済の弱体化が非常に見えやすくなってきている。一般の人が見てわかるようになってきています。

 JR西日本の事故や耐震強度偽装問題、裁判にもなっていますけれども、「ホリエモン」や村上ファンドの問題など、「構造改革」が何を目指し、どういう性格を持っていたのか、どういう問題を抱えているのかということが明らかになってきている。さらに、一層明らかになっている問題は、次に触れる働く人々のミゼラブルな状態です。労働者の働き方が大きく変わっきた結果、まことに悲惨な状態に陥ることになってしまいました。

Ⅱ。労働者の働き方はどう変わったか

■ コスト削減と景気回復

 この問題については、皆さんのほうが私よりもよくご存じでしょう。労働の現場を見ればすぐに分かることですから。非正規雇用が増大しております。先ほど言ったように、現在では1663万人、働く人々全体の3割、若者の4割で、女性の5割が非正規労働者になっています。
 こういう形で非正社員が増大してきたのは、「コスト・イデオロギー」と私は言っていますけれども、コスト削減、総額人件費の縮小を狙いにしたためです。不況の下で、企業の再建のためにはある程度、コストを削減しなければならない。これはあり得ると思うんです。だから、コスト削減を一概に否定するわけではありません。しかし、それは一時的で緊急避難としての措置です。いつまでもコスト削減自体を自己目的化していれば、どんどん事業は先細りになります。
 コスト削減の結果、減収増益になることがあります。そうすると、利益が上がっているではないかと思われるかもしれません。しかし、減収ですから収益が上がっているわけではない。減収増益を繰り返していけば、収入が減り続けることになるでしょう。最終的には、企業体として存立できなくなってしまいます。
 痛みを和らげるために、一時的に“劇薬”に頼ることはあるでしょう。それは体力を回復させるためです。一時的には、例えば麻薬を打つというようなことはあるかもしれません。しかし、病気がある程度回復して体力が戻ってきたのに、いつまでも麻薬を打ち続けていたら中毒患者になってしまいます。今、日本の経済は麻薬中毒になりかかっている。
 このような経営者は、愚かと言うしかありません(笑)。状況は変わっているのに、どうして同じことをやろうとするのでしょうか。もう景気は回復して、「いざなぎ景気」を超えたというではありませんか。そのような状況下で、デフレ不況下と同じことをやっていてどうするんですか。
 しかし、この好景気はインチキです。景気回復の期間としては「いざなぎ景気」を越え、景気は上昇しつつあるにしても、その上昇の程度は超低空飛行です。「いざなぎ景気」のときには、平均して実質で11%、名目で18%の高度成長でした。この間、実質でどれだけ上がっているか。たったの2.4%です。われわれの実感に近い名目では1.0%にすぎない。1%ですから、地上すれすれ。ようやく地面から浮き上がっているぐらいのところです。
 どうしてそうなっているかというと、いつまでも不況時代のやり方を続けているからです。経済が回復したら回復したなりに、ちゃんと働く人たちに還元するべきでしょう。これまでは、「大変だから、厳しいから、我慢しろ」と言い続けたはずです。ところが、いま企業は史上最高の収益を上げるようになりました。「これまで苦労をかけて済まなかった。少ないけど、取っておいてくれ」というのが、当然じゃないでしょうか。
 いずれにせよ、この2、3年間、企業の業績は良かったわけです。労働者にがまんを強いて、利益をあげて貯めこんできているわけです。低金利の恩恵を受けている銀行なんてウハウハです。史上最高の収益をあげているわけですから、回復に貢献した労働者に還元しなさいということを、ぜひ要求してもらいたいと思います。

■ 職場での競争激化と労働条件の悪化

 コスト削減が自己目的化したら、完全に経済成長は不可能になります。ここのところを、経営者の人にはちゃんと考えてもらわなければなりません。海外需要は調子いいけれども、国内市場、民間消費はよくないって言います。当たり前です。使える金がないのに、ものが買えるわけないじゃないですか。
 どうしたらいいのか。簡単です。使える金をもっと増やしてあげなさい。十分に使えるぐらいの賃上げを行うことです。ちゃんと、生活し消費できるだけの給与を保障しなければならない。
 成果・業績主義的な労務政策による労働者の分断も大きな問題です。これまでは、日本企業の良さというものがありました。労働者集団があって、お互いに助け合う。ある意味では、企業に対する信頼や帰属意識も強かった。それが今、失われようとしています。
 職場の労働者は分断され、互いに競争させられ、うつ病、メンタルヘルス問題などが進行している。職場がぎすぎすしています。
 労働条件の個別化も最近、顕著です。それぞれの労働者で個別化していますから、労働組合がなかなか発言できない。組合自体の交渉力も低下しているという問題が生まれています。
 非正規雇用の条件が悪いというと、今度は正規労働者の労働条件を低下させる。悪いほうに合わせて平準化を図るという動きも出てきています。賃金の値崩れで生活できない。最近の調査で、年間の平均給与額は正規雇用労働者が454万円、派遣労働者が204万円、パート労働者は111万円だと言われています。
 このような賃金では、1人で生活できない。2人で生活費を出し合って生活する。たまたま子どもができた、生まれたということになると生活できなくなっちゃう。親に頼るということでパラサイト(寄生)。ひどいことを言いますね、“寄生”ですよ。そういう形でも、まだ今は寄生する相手がいるからいい。親の年金も先細りになりますから、これから先はだめです。パラサイトしたら共倒れになっちゃう。
 こういう厳しい状況になってきている中では、最低賃金の引き上げが重要です。OECD諸国のなかでも、日本の最賃は低い方です。国際競争力と言いますが、最賃の高いところは経済的パフォーマンスが悪いのか。最賃の高いベルギーとかデンマークとか、こういう中欧諸国は経済的にもパフォーマンスはいいんです。
 大企業から税金を取るというと、日本から出て行っちゃうと言う。出て行ったっていいじゃないか。行きたかったらどんどん出て行けばいい。外国にはもっと税金の高いところがたくさんありますから。実は、日本は低いほうなんですよ。税金が高いからと言って外国に逃げ出すような、そういう“愛国心”のないような企業は日本にはいらない(笑)。こういう企業にこそ、“愛国心教育”をやらなきゃだめです。ちょっと横にそれましたけれども(笑)。
 最近では、格差の拡大という問題も注目されるようになりました。貧困化という問題です。OECD24カ国中、貧困化率の1位はメキシコで、アメリカは2位、日本は5位。貧困率は一貫して高まっています。最近、絶対的な貧困という問題も生まれています。昔は、周りよりも自分のところが低いという相対的貧困が問題でしたが、今や、もう生きていけないという状態になっている。最近では、餓死者まで生まれている。北九州市では生活保護を受けられずに餓死した例さえあります。

Ⅲ。労働契約法とホワイトカラー・エグゼンプション=「過労死促進法」の問題点

■ 「自由度の高い働き方」とは?

 こういう中で出てきているのが労働法制の見直し問題です。このような過酷な労働条件を改善し緩和するのかというと、全く逆の方向を目指すものになっています。ここでは、労働契約法とホワイトカラー・エグゼンプションの問題を取り上げます。
 これは、「過労死促進法」といわれていますが、「労働ビッグバン」の緒戦において、これを何とか押し返さなければなりません。「自由度の高い働き方にふさわしい制度」だと言われています。ただし、労働者がそういうふうに言っているわけではありません。「私たちは自由に働きたいから、だからこういうふうにやってください」と要求したものではないんです。使うほうが言っているわけですから、“余計なお世話”です。
 自由度が高いといいますが、それは自由に働けるということではなく、自由に働かせていらなくなったら自由にくびを切れる制度ということです。“使い勝手のいい”労働力を生み出すためのものなんです。
 自由度が高いと言いますけれども、問題は働く側に裁量性があるかどうかという点です。一番大きな問題は業務量やノルマの問題です。仕事の量が多いまま自由になったら、どこまででも働き続けなければなりません。自分で進んで働き続ける。日本の労働者は、死ぬまで働いてしまうでしょう。仕事が終わらなければ、終わるまで頑張る。ここが問題になるわけです。
 ノルマについての裁量という点では、かつては労働組合が、例えば仕事量などについても職場で交渉するということがありました。しかし、今は個別化が進んでいて、これが難しい。これに成果主義が結びつきますと、さらに問題は深刻になります。ノルマを減らそうとすると、「こいつはやる気がない」と見られます。やる気を見せるためには、「ちょっと無理かな」と思っても、多めのノルマを自分から申告する。
 そうすると、「お前、やると言ったじゃないか」ということになります。労働者は“自縄自縛”に陥って、身動きが取れなくなる。しようがないから残業するか、あるいは家に帰ってからやる。昔は、「風呂敷残業」と言いましたが、今は「IT残業」です。パソコンが家にもありますから、職場と同じことが家でもできる。私なんかも家でパソコンで仕事しているわけですけれども、そういう点では職場と家庭、仕事と私生活との区別がなくなってしまうという問題も出てきています。

■ 本人要件と同意の問題

 このような制度をどういう労働者に適用しようというのでしょうか。ここで問題になるのが、本人要件です。これについては、一定量の年収と本人の同意が条件になります。
 しかし、本人の同意と言ったって、同意しなかったら後でにらまれるおそれがあるでしょう。拒否できるのか、という問題があります。年収額については、最近では1000万円という線が出てきました。やりますネー。1000万円以上だと。
 もともと、日本経団連は400万円以上だと言っていたんです。400万円と言っていて1000万円に変更する。これは高いから大丈夫だ、ほとんど対象になる人はいないと、皆さん、そう考えたでしょう。それが狙い目なのです。
 たしかに、先ほど述べたように、450万円ぐらいが正規労働者の平均です。1000万円ということになると数%ではないでしょうか。しかし、安心してはいけません。「小さく生んで大きく育てる」ということなんです。こういう形で規定が入りさえすれば、次の年には1000万円が900万円、やがて800万円、600万円、400万円と、どんどん下がってくる可能性があります。
 1986年に労働者派遣法ができて、今から20年前の翌87年7月から施行されました。このとき、派遣は基本的には原則禁止で、一部解禁。いわゆる「ポジティブリスト方式」です。やれるところの業種を指定していたんです。それがいつの間にか、やれないところだけを指定して、あとは全部やれるようにしちゃった。「ネガティブリスト方式」への転換です。今度は、3年という期限もなくす。製造業などへも、どんどん拡大しているじゃありませんか。
 ホワイトカラー・エグゼンプションの本人要件は1000万円以上だから、なんて言ったって「信用できないよ」と言うべきです。「そんなことはないですよ」と反論されたら、「労働者派遣法の例を見なさい」と言ってもらいたい。まさに、労働者派遣法の場合は小さく生んで、その後、どんどん大きく育っちゃっている。もう、扱いに困るぐらいです。さらに、それを“モンスター”に変えてしまおうというのが、今の「労働ビッグバン」の方向だということになります。

■ 残業代がゼロになる

 この制度が導入されれば、適用された人には残業代がなくなります。労働時間規制から除外するということですから。「サービス残業」が合法化されます。過労死は補償されません。過労で死んでも自分の責任とされ、会社に責任はないことになります。うつ病が増える。家庭生活が破壊される。少子化が進む、社会は縮小、崩壊する。
 実は、社会の縮小はもう始まっています。少子化によって、去年から始まりました。社会の崩壊も、すでに半分ぐらいは進行しているんじゃないでしょうか。労働は非正規雇用が約3分の1、一般労働者の労働時間は年間2000時間を超えるほど長くなっているし、サービス残業は野放しです。過労死や過労自殺はなくならず、自殺者が3万人以上という状態が8年間ずっと続いています。医療や福祉も崩壊状態。教育もずたずた。熱心にやっているのは、起立させて大きな声で君が代を歌わせることです。これらは、ますます拍車がかかるだろうと思います。
 解雇の金銭解決という問題も提起されました。さし当たりは取り下げられたようですが、これが導入されれば、解雇がしやすくなる。労働組合の活動家の追放もできるようになります。「首を切られるようなところはとっとと辞めて、他のところに行ったほうがいいんじゃないか」と、経済財政諮問会議の八代国際基督教大学教授などは言っています。
 そういうことを言うんだったら、金銭解決は労働者の側からだけしか言い出せないようにしなければなりません。使用者の側から言い出せるというのはおかしいじゃないですか。働く側の問題ですから。そこで働き続けたいのか、それとも、お金をもらってよそに行きたいのかというのは、労働者自身の問題です。自主的に選んで決定できるということが前提でなければなりません。
 労働委員会の設置や有期雇用の拡大についても問題点を指摘してありますが、時間がありませんので省略します。レジュメをご覧になっていただきたいと思います。

Ⅳ。安心して働き生活できる社会こそが企業の存続・成長のための真の条件

■ 労働の困難は家庭生活を破壊する

 それでは、このような労働法制の見直しを、どう考えたらよいのかということが4番目の問題です。基本的には、このような労働法制の規制緩和によって、働く人が安心して働けるようになるのかということです。これが基本です。
 今の日本の社会が抱えている大きな問題は、安全と安心が阻害されているということです。安全ということでは、今まで平和な社会、平和国家であった日本が、戦争国家になって、戦争に巻き込まれる危険性が高まっている。すでに今でも、イラク戦争に賛成を表明したために「テロリスト」に狙われる可能性が出てきているわけです。こういう形で安全が失われ、安心が阻害される。労働法制の規制緩和は、生活の基盤を支える土台を揺るがせることによって、ますます安心を阻害することになるでしょう。
 このように、労働、福祉、医療、介護など、次々と制度が変わって、状態が悪化している。問題は、労働規制を変える、働き方を変えるという場合、働く人自身がそれを望んでいるかどうかということです。変えるというのだったら、実際に働いている労働者の代表の意見を聞く、アンケート調査などをして、これだけの支持がありますよ、これだけの要求がありますよということを明らかにし、当事者の意見を踏まえた議論をしてもらいたいと思います。
 雇用の多様化が不安定化に結びつくことがあってはなりません。今まではそうでしたし、これからもおそらくそうでしょう。ホワイトカラー・エグゼンプションを導入しても、週休2日を義務づける、産業医がちゃんと健診するから過労死にはならないと言われています。しかし、今でも年休取得率は50%以下です。しかも、週休2日なら平日の労働時間はますます短くなりますから、ノルマが変わらなかったら残業時間が増えることにならざるを得ません。
 体の調子が悪かったら、産業医に相談してストップをかけられるようにすると言いますが、人間はロボットじゃないんです。故障しなければいつまで働いてもいいというわけにはいかないでしょう。持ち時間は1日24時間しかないんだから、その中で一定の休息をとり、家庭を作り、家族と語らい、新しい労働力を生み、育てる。自由時間を享受することによって疲労の回復を図る。それが人間らしい生き方というものです。
 一日の中でも、いわゆる一つのサイクルのようなものが保障されなければならない。家庭生活も保障されなければならない。だから、一定の時間になったら必ず家に帰ることができるように、そのようなシステムをきちんと確立しなければなりません。
 遅くとも、午後8時までには帰れるようにする。「フランスでは7時までなんだよ」とある人に言われましたが、先進国で出生率が逆転して高まっているのはフランスだけなんです。ここは7時前にみんな帰るというわけです。
 首都圏なら、フランスのパリよりも通勤時間がかかる。だから、ほとんど同じことです。8時ぐらいまでには帰れるようにしなきゃならない。家に帰って子どもと会話したり、奥さんと話したりできるような時間がなければ、子どもを産んだり育てたりできません。奥さん一人だけでは、どんなに頑張ったって子どもはできませんよ。もし、できたりしたら大変なことになっちゃう(笑)。
 『朝日新聞』12月3日付に掲載されていた連合の調査でも、家族と夕食をとるのは平均して週4日と書いてあります。7日のうちの4日ですからかろうじて過半数、あとの3日は家族と夕食を食べていないということです。「4日も一緒に食べられたらたいしたもんだ」と、会場からの影の声がありますけれども(笑)。そういう状況では困ります。家族・家庭は崩れていく。
 お父さんが遅く帰ってくれば、夕食は自然に遅くなる、子どもが寝るのも遅くなる、朝起きるのも遅くなる。朝食は食べられない。学校に行っても、おなかをすかせて授業に集中できません。最近では、朝ごはんの時間を作っている学校もあるということです。
 朝ごはんを食べない子どもよりも食べてきた子どものほうが成績がいい。そんなことを言われたてもね。そうできる条件があるかどうかということです。それは親の働き方に深く関わっている。結局、親の働き方が大変なら、教育の基盤である家庭も大変な状態になってしまう。こうして、労働と生活の両方が崩れてきている。ここに、今の日本の社会が抱えている大きな問題があります。それを解決できるような形での働き方の変化であり、労働法制の見直しでなければならないということです。

■ 生活できる賃金と労働時間規制の強化

 家庭生活の安定にとって必要なことは、生活できる賃金を保障するということです。子どもを1人育てるのに最低3000万円かかる。子どもが3人いたら1億近くかかります。すごいですね。こういうことを言うと、「だから、子どもを生むのをやめよう」ということになりかねないので、あまり言いたくないのですけれども。しかし、それだけのお金がかかる。
 日本の場合、教育費がかかります。生活費も高い。中国の場合は衣食住が安く、日本の場合はそれが高い。ボールペンとか電卓は安いんです。ボールペンなんか、ただで配っている。ボールペンを何本もらったって、あまり生活の役には立ちません。安く電卓を買えたって、一つあれば十分です。
 問題は、衣食住です。特に住宅。ぜひ、生活できる賃金を獲得するために、頑張っていただきたいと思います。
 必要なのは、賃金の引き上げであり、正規と非正規との均等処遇ですが、それに加えて、労働時間規制の強化が必要です。毎年5月1日に「メーデー」があるでしょう。あれはアメリカのシカゴの労働者が労働時間短縮を求めてストライキをやったのが始まりです。いつの時代だと思いますか? 1886年です。今から120年も前のことです。このときのスローガンは、「8時間は労働に、8時間は睡眠に、あとの8時間はわれらの自由に」というものでした。
 理想的な夢のような話に聞こえるかもしれませんが、120年前の人々のスローガンであり、目標だったんです。それが120年経っても、この国ではいまだに実現していない。なんということでしょうか。情けないじゃありませんか。しかも、それを減らそうというのではなく、規制そのものを取り払っちゃおうというわけです。ちょっと具合が悪かったら産業医に相談して、点滴でも打って働け。こういうことですよね。薬をもらってこいと。これでは、本当に人間の社会として進歩しているのかと言いたくなります。
 先ほども言いましたように、国際的にいまILOなどが中心になって「ディーセント・ワーク」が叫ばれています。人間らしい尊厳ある労働ということですが、労働者の権利を保障して、労働条件を引き上げ、人間らしい働き方、人間らしい生活を実現しなければならないというわけです。これは、労働基準法の第1条に書いてあることと同じです。「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」と書いてあるんです。これを実現することが目標でなければなりません。
 何よりも私が言いたいのは、「ディーセント・ワーク」の国内での拡大と海外での普及を日本の経営者が目標にするべきだということです。発展途上国のコストは低く、そこで作られた製品はどうしても安くなります。なぜ安いかといえば、途上国、中国とかベトナムとか東南アジアで働く人たちが劣悪な労働条件と低い賃金で働いているからです。だから、労賃のコストが安くなる。
 競争条件を平準化して平等な競争を実現するためには、こういう途上国の労働条件や賃金を引き上げるように国際的な圧力をかけなければならない。日本の競争相手となる周辺のアジア諸国における労働条件を引き上げ、安いコストという壁を打ち破るために、なぜ、日本の経営者は国際的な働きかけを行わないのでしょうか。「ILOの労働基準を実現しろ、これをちゃんと守りなさい」というのは、本来、労働者ではなく経営者が言うべきスローガンなのです。
 それなのに、途上国の労働条件が低いまま、それに合わせて日本の労働条件も低めようとしている。こっちが低くなったら、また、あっちも低くする。それに対抗して、さらに低くする。このような形で、悪循環が始まります。いわゆる「race to the bottom」と言われるものです。これでは、労働者は生きてゆけません。経営も成り立たないでしょう。
 こういうことで、労働条件とコストの切り下げ競争をやってはいけない。逆に、ILOの労働基準を実現することによって、労働条件とコストを高め、競争条件の平準化を図る。日本の経営者はこれぐらいのことを考えたっていいんじゃないですか。
 コスト削減競争で、どんどん労働条件が切り下げられ、自由時間がなくなれば、旅行もできず、買い物にも行けません。賃金が安ければ、買うお金もない。そうなれば、国内でものが売れるわけがありません。観光地だって閑古鳥が鳴きますよ。リゾートにも遊びに行けない。テーマパークで“遊んでいる”のは、子どもではなく遊具だ。こういうことでは話にならない。景気回復の足を引っ張っているのは、個人消費の低さ、内需の弱さです。今の日本は、まさにそうなっています。
 本当は、私は生協労連ではなく日本経団連のセミナーか何かで、こういう話をしたいんですけれども(笑)。呼んでくれませんかね。ここで、そういうことを言ってもしようがありませんが、本当にもうちょっと考えてもらいたいですよ、日本の経営者の皆さんには。奥田さんや御手洗さんなんかはいいです。アメリカなど外国で勝負できますから。「日本がだめなら外国があるよ」と言える経営者や企業なら、それはそれでいいかもしれませんが、しかし、日本の企業の大多数がそうかというと、そんなことはありません。一部の多国籍化した大企業だけです。
 とくに、生協の皆さんはこの国で勝負しなければならない。「ここがロードスだ。ここで跳べ」というわけです。「跳ぶ」のは、この場所です。ここで勝負しなければならないわけですから、自分たちの賃金を上げるだけじゃなく、日本全体の働く人たちの賃金を上げさせる。そのことによって、日本の国内市場を豊かにする。そして、いいものをたくさん作って売る。安全で優秀な製品、誰も考えないような新しいもの、誰でも欲しくなるようなものをたくさん作って、どんどん売っていくということを、ぜひ考えていただきたいと思います。

■ 「失敗国家」アメリカの追随は失敗する

 今の労働の規制緩和を含む日本の改革路線は、アメリカの新自由主義的政策の追随です。アメリカはすでに多くの失敗を犯しています。そのアメリカに追随すれば、日本の失敗も避けられません。密かに、アメリカは日本の失敗を誘導し、ライバルとしての日本を蹴落とそうとしているのです。
 アメリカの失敗の典型的な例はイラク戦争です。この戦争が始まったとき、日本はすぐに賛成しました。小泉前首相はこの戦争を支持すると。小泉さんは、“友だちがい”がないと思います。ブッシュさんの“良き友”であろうとするのだったら、「そんな戦争は間違いだから、やめたほうがいいんじゃない」と言うべきだったでしょう。あのとき、もしそう言っていたら、ブッシュ大統領は大義なき愚かな戦争をイラクに仕掛けることはなかったかもしれません。
 イラク戦争がなければ、この前の中間選挙で共和党が大敗することもなかったでしょう。ばかな戦争を仕掛けてイラクをめちゃくちゃにした張本人として、ブッシュ大統領はアメリカの歴史に名を残すことになりました。もし、親友だったなら、過ちを犯す前に「それはやめなさい」と、小泉さんは忠告するべきだったんです。そうすれば、こんな不名誉な形で歴史に大きな汚点を残すことはなかったはずです。
 ちょっと、話がずれるかもしれませんが、戦後、アメリカに引きずられて日本は2度、ベトナム戦争とイラク戦争で間違えました。アメリカはもっと、何度も間違えています。日本が間違えたのは、安保条約に基づく「日米同盟」のせいです。ベトナム戦争のときには、佐藤栄作首相がアメリカに協力しました。もし、日本が出撃基地にならなかったら、ベトナム戦争はあんなに長く続けられなかったかもしれません。今では、あの戦争はアメリカにとって完全な誤りだったと総括されています。
 ワシントンのリンカーン記念堂の左前方にベトナム戦争の記念碑があります。黒い御影石が壁のようになっていて、一面に名前が書かれている。ベトナムで死んだアメリカの若者たち、5万8000人の名前が書かれているんです。ベトナム戦争がどれほどアメリカにとって大きな痛手であったか。この数字からも明らかでしょう。もし、1年早くベトナム戦争が終わっていれば、5万8000人のうちの何人かは助かったかもしれません。もう一月、あるいは一週間、早く終わっていれば、それだけ犠牲者は少なかったはずです。
 いま、イラク戦争では2800人が亡くなっています。その前にアフガン戦争で100人死んでいます。2900人のアメリカの若者が、この愚かな戦争でブッシュ大統領のために命を落したのです。2001年9月11日にアメリカはワールド・トレード・センタービルを攻撃されました。あそこでは2900人が死んだんです。そして、ブッシュ大統領は「二度と再びこのようなテロ事件を繰り返させない、アメリカ人をこのような形で犠牲にするようなことを繰り返してはならない」と言って「対テロ戦争」を始めました。
 こう言って始めた「対テロ戦争」で、ブッシュ大統領はワールド・トレード・センターで亡くなった2900人と同じ数の若者の命を奪ったことになります。これを愚かと言わずして、何と言ったらいいんでしょうか。本当に、ばかなことをやったものです。しかも、それはいまだに続いている。とっとと、イラクから出て行けばいいんです。その結果、どうなるかは分かりませんが、少なくとも一つのことだけは、はっきりしている。アメリカ軍が出て行けば、アメリカ兵を狙ったテロ事件はなくなります。
 ベトナム戦争のときも、アメリカがベトナムから出て行ったらインドシナ半島では「ドミノ現象」が起きて、全部社会主義国になると言う人がいました。しかし、そうなっていますか。なっていないじゃないですか。
 このように、アメリカは何回も過ちを犯しています。アメリカは、今までにも世界に大うそをついて戦争をやってきた過去を持っている。そのアメリカにつき従っているのが、今の日本です。
 実は、アメリカはもうすでに日本を裏切っている。先ほども言いましたように、日本はアメリカの競争相手にならないようにと、アメリカから新自由主義的政策と改憲など軍事大国化に向けての政策を、いわば“押しつけ”られている。その結果、アメリカの望むとおりに、日本は国内の産業基盤を崩壊させ、国力を弱体化させてきました。
 そして、アメリカはそのような日本から、東アジアにおけるリーダーシップを委ねる対象として中国に乗り換えつつある。このような動きは、小泉さんのときに始まりました。安倍さんは、そのことに気がついたのでしょう。小泉さんから路線転換しました。それが、靖国神社参拝問題での「あいまい政策」であり、中国・韓国との関係改善です。首相になってから、最初に中国や韓国に行ったのは、アメリカが日本を見捨てて中国に乗り換えつつあると気づいたからです。このままいったら大変なことになるという、その危機意識から安倍新首相は小泉路線の転換を図ったのです。
 中国は北朝鮮の問題、核開発疑惑を利用して、アジアやさらには国際政治における発言権と影響力を強化しようとしています。アメリカはイラク戦争の失敗によって力を低下させ、世界は多極化の方向へと向かっています。中南米では「反米・非米政権」が続々と登場し、EUはアメリカの思う通りにはなりません。イギリスのブレア首相もアメリカの下を離れました。イタリアでは中道左派政権への政権交代が起きています。もう、アメリカに追随しているのは、日本とオーストラリアくらいしかありません。
 中国はインドと手を握ってアジアの盟主になろうとしています。イラク戦争によって高騰した原油と天然ガスのおかげでロシア経済は建て直され、プーチン大統領は大きな力を持ってきています。このように、アメリカはイラクの誤りによって世界の多極化を生み出しました。そのアメリカに、日本はついて行っていいのだろうか。このことを、今こそ、深刻かつ真剣に検討すべきではないでしょうか。

むすび 

 最後に強調しておきたいことは、いま、こういう状況の下で、このまま進んで行っていいのかという声が強まってきているということです。このような疑問が生まれている。「ちょっと待った」という動きが出てきています。
 「週40時間労働規制外し 割れる財界」という新聞記事が出ました。2006年11月22日付の『朝日新聞』です。労働時間の規制をはずす制度、つまりホワイトカラー・エグゼンプションに対して経済同友会は反対だと、こう報道されています。同友会がどこまで本気かわかりませんが、しかし、反対だと言ったことは大変重要なことです。財界が割れているじゃないかと、声を大にして宣伝するべきだと思います。
 もう一つあります。自民党労働調査会の復活という記事も報道されています。「労働ビッグバン」に対して、党内からは経済界の論理が強すぎる、働き手に果実を分配するべきだなどの意見が続出したと言います。これもやはり、注目しなければならない動きでしょう。自民党でさえ、こういう状況、今のような労働の規制緩和は経済界の論理が出すぎていると言っているのです。
 さらに、ここに11月24日付の『週刊金曜日』を持ってきました。「ただ働きはもうたくさん! “過労死促進法”の恐怖」という記事が出ています。11月21日付の『夕刊フジ』にも「残業代がなくなる、怒れ、サラリーマン」という記事が出ていました。『日刊ゲンダイ』には、こういう記事はよく出ますが、『夕刊フジ』にはなかなか出ない。「勇敢なフジ」に変わったのかなと思いましたけど(笑)、もっと“勇敢”になってもらいたいものです。
 こういうふうに週刊誌が労働問題を取り上げるということは、久しくなかったことです。しかも、今、紹介したように労働の規制緩和に対する強い危機感を表すような記事になっています。NHKのドキュメンタリーや報道番組でも、今の働き方の問題を提起するような放送が次々になされています。
 世論が変わってきている、ということでしょう。これを的確にとらえて、さらに世論に訴える。そして、労働界、労働運動、労働組合としての共同を進め、統一した力を盛り上げ、世論を味方につけて、ホワイトカラー・エグゼンプションの導入をはねのけていただきたいと思います。
 統一して闘えば勝てる、ということです。賃上げにしても、労働法制の規制緩和などの「労働ビッグバン」に対しても、勝利の条件が生まれてきているのだということを、ぜひしっかりととらえて07年春闘に向けての取り組みを強めていただきたいと思います。その先頭に生協労連が立たれることを強く期待いたしまして、私の話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました(拍手)。

 司会 先生、どうもありがとうございました。迫力ある中でも楽しくお話しいただき、ありがとうございました。少し時間が残っていますが、質問のある方、おられませんでしょうか。いま、手を挙げた方、どうぞ。

 質問 どうもありがとうございました。レジュメの中に「アメリカからの露骨な介入-反発を生み『反米右翼』が分化」というのがあるのですが、そこをちょっと説明していただけますか。

 五十嵐 「アメリカからの介入」への警戒と反発という問題は、私の独創ではなく、「年次改革要望書」を取り上げた関岡さんとか、今年の流行語大賞を取った『国家の品格』の著者の藤原さんなども言っています。実は私、『活憲』という本を去年の今ごろ出しまして、この「活憲」という言葉で流行語大賞を狙うと言っていたのですけれど、残念ながら、まったく歯牙にもかけられませんで、藤原さんの「品格」に取られてしまいましたけれども。
 こういう本は、基本的には「反米右翼」的な流れだと思います。つまり、アメリカのようなやり方、日本に対する圧力、新自由主義的な路線に対しては反対です。けれども、「国家の品格」とか、“日本的なるもの”を大切にしなきゃならないということで、一面ではアメリカのやり方に対して批判、反発しながら、他面では日本的なるもの、あるいは日本のナショナリズムに棹をさすということで、これを再評価する。長い間、日本には右翼の中に反米がなかった。「反米左翼」ばかりだったんですけれども、最近は「反米右翼」という潮流が右翼の中で分化したということです。そういうことを、ちょっと筆が滑りまして書いたのですけれども(笑)。
 ですから、アメリカの介入に対する批判・反発という点では左翼とも共同歩調を取り得るとは思いますが、後の点では注意しなければならない風潮ではある。つまり、ナショナリズムを強めるという点での危険性も、きちんと見ておかなければならないだろうということです。

 司会 五十嵐先生、ありがとうございました。もう一度大きな拍手をお願いします。(拍手)

(2006年12月 生協労連第80回中央委員会〈学習講演会〉での講演。『季刊生協労連』2007年4月号、所収)