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7月6日(金) 言論を封じた言論の府  [国会]

 昨日で第166通常国会が閉幕し、事実上の参院選に突入しました。公示は1週間後の7月12日(木)です。

 それにしても、ひどい国会でした。記者会見で「成果を上げた」と総括した塩崎官房長官も、うつむき加減で元気がありません。
 それも、そうでしょう。後ろめたかったにちがいありません。これほどひどい国会も、そうざらにはありませんから。
 国会閉会にあたって、河野洋平衆院議長は「国会運営のあり方を改めて考えさせられる国会だった」と振り返り、扇千景参院議長は「参院らしくないこともあるいはあった。参院のあり方自体が、皆さんお一人お一人の肩にかかって国民に信を問うことになる」と呼びかけました。議長自身の責任はどうなのか、と問いたいところですが、国会運営に責任を負う2人の議長が、このような問題意識を感ずるほどの異常さであったことだけは確かでしょう。

 それでは、一体、何がひどかったのでしょうか。
 今国会の異常さを示す例として先ず挙げなければならないのは、強行採決の連発です。野党の同意を得ずに、与党だけで強行した採決は17回もありました。
 これについてはすでに書きましたので詳しくは触れませんが、多数による横暴の最たるものです。討論を途中で打ち切って採決を強行するというのは、言論の府としては自殺行為です。
 しかも、必ずしも対立していない法案についても、法案審議のスピードをあげるために採決を強行する例もありました。多数の法案を出して、むりやり成立させようとした安倍首相の無理強いによるものです。

 次に、国会の会期延長と投票日の1週間延期という問題です。通常国会の会期は6月23日までの150日間でしたが、それを会期末に12日間延長したため、当初予定されていた参院選の投票日が1週間延びてしまいました。
 そのために、関係者などのスケジュールの調整、投票所の確保、看板の書き換えや投票用紙の刷り直しなど、各方面でさまざまな混乱が生じました。しかし、7月30日未明に社会保険庁改革関連・年金時効停止特別措置法や公務員制度改革関連法が成立し、国会は事実上閉幕しています。
 結果からすれば、12日間も延長する必要はなかったということになります。この延長は、法案を成立させるためというより、投票日を遅らせて時間稼ぎをすることや夏休みにぶつけて投票率を下げることの方に狙いがあったのではないでしょうか。

 最後に、与党の側の“審議拒否”という珍事までありました。7月4日と5日、衆院決算行政監視委員会で民主党の仙谷由人委員長が委員会の開会を決めたのに、与党が出席せず流会になりました。
 これについて、衆院事務局は「聞いたことがない」と話しているそうですが、私も聞いたことがありません。安倍首相や与党は、年金記録不備問題や辞任した久間章生前防衛相の原爆投下「しょうがない」発言について追及されるのを嫌ったからだと見られています。
 国会の会期が残っているのに、委員会に出席せず流してしまう。こんなことが許されれば、議会は機能しなくなってしまいます。

 国会は、“言論の府”ではありませんか。与野党が、お互いに議論を尽くし、問題点を明らかにするところに国会の役割があります。
 その国会の委員会の審議を途中で打ち切って採決を強行したり、会期内であるにもかかわらず屁理屈をこねて流会させ、会期が終わるのを待って年金記録問題への新たな対応策を発表するなどというのは、国会軽視も甚だしいと言わざるを得ません。
 強行採決にしても審議拒否にしても、言論を封ずるという点では同じです。議会の多数を握る与党は、多数の横暴によって国会の存在意義を否定する暴挙を重ねたということになります。衆参両院の議長が嘆くのも当然でしょう。

 さて、注目の参院選ですが、今後の日本の進路を左右する歴史的な選挙になります。選挙の争点は、安倍改憲内閣の存続を許すかどうか、戦争できる国を作りたいという安倍首相の野望を打ち砕くかどうかという点にあります。
 年金記録の不備、定率減税の廃止や消費税の引き上げなどの増税、松岡農水相の自殺まで引き起こした政治とカネの問題、ワーキングプアと格差の増大など、これからの国民生活に関わる重大問題が大きな争点になるでしょう。同時に、今回当選する議員は3年後以降に狙われている改憲発議に関わることになりますから、憲法と日本の進路についての選択もまた、問われることになります。
 ということで、先日の学習会で披露して好評を博した一句を……。

 戦争の足音近づく参院選、命落とすな自民落とせ


「希望の国」か、それとも「絶望の国」か―「御手洗ビジョン」の目指すもの [論攷]


はじめに

 財界団体の日本経団連は、今年の一月一日、「御手洗ビジョン」を発表した。“新しいお手洗いの提案”というわけではない。財界の将来構想をまとめたものである。
 この「御手洗ビジョン」の正式の表題は『希望の国、日本―ビジョン二〇〇七』という。どこかで聞いたことがあるような気がするかもしれない。その通り。安倍首相が打ち出した「美しい国、日本」の焼き直しである。
 似ているのは表題だけではない。その中身もうり二つになっている。“本家”の「安倍ビジョン」の評判はさんざんだが、“分家”の「御手洗ビジョン」の方はどうだろうか。以下、ビジョンの内容について、その問題点を検討してみたい。

すでに破綻した「成長戦略」への拘泥 

 「御手洗ビジョン」は、「はじめに」で、「弊害が最も小さくなる道を進むことを主張するひとびと」である「弊害重視派」と区別して、自らを「成長重視派」だとしている。「改革を徹底し、成長の果実をもって弊害を克服する」というのである。安倍政権の経済政策構想である「上げ潮」政策と同様の発想だと言える。
 このような構想は、小泉前政権の「構造改革」路線が実行される前なら、それなりの幻想を振りまくことができたかもしれない。しかし、このような政策の結果がすでに明らかとなり、多くの問題が生じている今日では、ほとんど説得力を持たない。すでに、破綻が明らかとなった構想だからである。
 今日の日本経済は、「いざなぎ景気」を超える戦後最長の経済成長の下にあると言われている。「御手洗ビジョン」は、この成長をさらに引き延ばそうという。それが可能なのかと問う前に、そのような「経済成長」によって何がもたらされたのかが問われなければならない。
 生産活動によって得られた付加価値のうち労働者がどれだけ受け取ったかを示す指標である労働分配率を見ると、〇一年度の七四・二%をピークに下がり始め、〇四、〇五年度は七〇・六%と低水準に落ち込んだ。この間、大企業の人件費は約六%減り、株主配当は約三倍、役員の賞与は約二倍になった。
 トヨタなどの大企業は史上最高の利益を上げる一方、労働者の賃金は下がり続け、ワーキングプアや格差拡大が社会問題化した。低賃金の非正規雇用者が三割を超え、日本の労働者(雇用者)の四人に一人は年収一五〇万円未満、半分は三〇〇万円未満の生活を強いられている。生活苦のための自殺も多く、自殺者は過去九年連続で三万人を超えた。最低賃金は生活保護水準以下であり、生活保護受給世帯数は〇五年に一〇〇万世帯を突破している。
 つまり、景気回復によって「成長の果実」は実ったかもしれないが、それはもっぱら大企業や株主、役員などの懐に入り、労働者や庶民の手には渡らなかった。そのために、さまざまな「弊害」や問題が生じたというのが、現実の姿だったのである。
 それは、ある意味では当然だといえる。リストラとコスト削減によって、本来なら働く人びとにいくはずの所得を企業が横取りして蓄積にまわし、それによって業績の回復を図ってきた。「成長」したにもかかわらず「分配」されなかったのではない。「分配」しないことによって「成長」が可能になったのである。このような「成長路線」の維持・継続は、企業の側に「成長の果実」を実らせることがあったとしても、決して「弊害を克服する」ことにはつながらず、働く人々の側の「弊害」を拡大し、深刻にするだけだろう。
 そのうえ、ビジネスチャンスを拡大し、企業活動を支援するために民営化や規制緩和が進められた。それによって、「ホリエモン事件」や村上ファンドの裁判、姉歯やアパグループの耐震偽装事件などの経済事件や企業不祥事も数多く発生した。これらの問題が、さらなる成長によって解決されるというのは絵空事にすぎない。

さらに拡大する貧困と格差 

  表通りから、「チンチン」という路面電車の音が聞こえる東京・荒川の商店街。老舗 の豆腐店で先月三〇日、男性店主(五二)と母親(七九)が首をつって亡くなっている のが見つかった。チラシの裏に書かれた店主の遺書に、「収入が減り、先行きが不安」 とあった。時代の移ろいとともに商店街はかつてのにぎわいを失い、「シャッター通り」 と呼ばれていた。「一緒にやってきたのに」。仲間たちは無念の死を悼む。

 これは、『毎日新聞』二〇〇七年二月一六日付に掲載された記事である。他方、「御手洗ビジョン」は、「嵐の日々は過ぎ、そこここに木漏れ日が射している。眼差しを上げて行く手を望めば、明るい青空も見える」と書いている。どちらも、日本の現実であろう。前者は一般の国民の、後者は日本経団連に加わる大企業の現実なのである。
 ところが、「収入が減り、先行きが不安」との遺書を残して自殺するところまで追い込まれている人々に、「御手洗ビジョン」は新たな提案を行っている。「税制改革」によって、「二〇一一年度までの間に……消費税を二%引き上げ」、「二〇一二年度以降、……消費税率に換算して三%程度の増税」を行うというのである。現行五%の消費税率を二倍にするという大増税である。
 他方、「明るい青空も見える」大企業の法人税については現行の約四〇%から「大幅に引き下げ」、一〇年後には「実効税率は三〇%程度の水準まで引き下げ」るよう提案している。このような法人税の引き下げを行わなければ消費税率を引き上げる必要はないのではないかという当然の疑問に、「御手洗ビジョン」は全く答えようとしていない。
 こんにち生じている問題の多くは、大企業の儲けすぎにある。「デフレ不況」における緊急避難としてのコスト削減が長期化し、付加価値の分配構造がゆがんだ結果、労働分配率が低下し、格差が拡大してワーキングプアと呼ばれる貧困層が生み出された。生活できず結婚できない若者が増大し、少子化問題も深刻になっている。とうとう、昨年からは人口減少に転じた。内需は低迷し、地方や地域の衰退は目を覆うばかりである。
 一方で企業減税、他方で消費税増税というのが、「御手洗ビジョン」の「希望」だという。そうなれば、「成長」どころか格差はますます拡大し、ワーキングプアや非正規雇用はいっそう増えていくだろう。低賃金と長時間労働を解決しなければ、少子化に歯止めをかけられず、地方や地域の衰退を止めることもできない。すでに破綻した「成長路線」を何の反省もなしに継続し拡大していけば、「希望の国」どころか「絶望の国」へと日本は変わってしまうにちがいない。

「働く機械」を生み出す「労働市場改革」 

 「御手洗ビジョン」は「今後五年間に重点的に講じるべき方策」を一九項目掲げている。その一四番目が「労働市場改革」である。ここでは、「公的職業紹介事業への市場化テストの導入や民間事業者の積極的な活用」「労働者派遣、請負労働、確定拠出金に関する規制改革」「有期雇用契約の拡大、裁量労働制、ホワイトカラー・エグゼンプションの推進」などが打ち出されている。
 労働政策には、賃金や労働時間、安全衛生、職業訓練などさまざまな分野がある。その中で、主として「労働市場改革」にだけ焦点が当てられている。「労働ビックバン」とは言っても、財界によって狙われているのは労働市場にかかわる規制緩和であり、それによって、雇いやすくクビを切りやすい、使いやすい労働力を手に入れようというのである。柳沢厚労相は女性のことを「産む機械」と言ったが、財界は労働者を「働く機械」だと考えているにちがいない。
 キャノンで偽装請負が発覚すると、キヤノン会長でもある御手洗氏は労働者派遣法の方が問題だ発言した。偽装請負が違法なのではなく、法律のほうが悪いというのである。ホワイトカラー・エグゼンプションにしても同様で、サービス残業を合法化するために労働時間規制を取り払ってしまおうというのである。〇五年四月から一年間に是正された「不払い残業」の金額は二三二億九五〇〇万円にも達した。ホワイトカラー・エグゼンプションを導入すれば、このような割増賃金を支払う必要はなくなるだろう。
 これらは取り締まる法律があるから、問題になり罪となる。偽装請負にしてもサービス残業にしても、法律を変えてしまえば合法化され認められるようになってしまう。時間規制をなくして早く帰れる労働者がどこにいるというのか。それが可能だと言いたいのなら、まず、サービス残業のような不正を一掃して見せたらどうか。
 ホワイトカラー・エグゼンプションは通常国会では見送られたが、残業代の割増率の引き上げを「先行実施」すると言っている。つまり、参院選後の臨時国会で、選挙を気にすることなくホワイトカラー・エグゼンプションを導入しようという目論見なのである。
 このような「労働市場改革」が実行されれば、労働現場は無法状態になるだろう。それを狙っているのは、日本経団連の御手洗会長だけではない。「非正社員なりに雇用を安定させることが大事」だという八代尚宏氏や「過労死は自己責任だ」などという奥谷禮子氏のような人物も経済財政諮問会議や労働政策審議会に入り、労働政策の作成に関与している。しかも、首相は安倍氏である。財界としては「今なら何でもできる」と思って全面的な攻勢をかけようとしているのではないだろうか。

「ネオコン」と一体の改憲論 

 また、「御手洗ビジョン」は、財界の提言には異例な「憲法改正」という項目をわざわざ設け、保守政界の中でも極めて特異な右寄りの意見をそのまま主張している。九条については「戦力不保持を謳った同条第二項を見直し、憲法上、自衛隊の保持を明確化する」「集団的自衛権を行使できることを明らかにする」「憲法改正要件の緩和を行う」、海外派兵のための「場当たり的な特別措置法ではなく一般法を整備する」「安全保障に関する基本法を制定」する、「安全保障会議を抜本的に強化し、日本版NSC(国家安全保障会議)として機能させるなどというものである。
 これらは、安倍首相の言っていることと寸分違わない。安倍首相の路線は、言ってみれば「復古派」と「ネオコン派」の合作であり、従来の保守政治の流れからすれば「右派傍流」に属するものである。自民党内でさえ一致が得られないこのような特異な路線を、財界全体のビジョンとして良いのだろうか。
 「御手洗ビジョン」は「アジアとともに世界を支える」として、「アジア諸国の期待に応えることで、一層の信頼と共感を得ていかなければならない」と主張している。このようなアジア重視は当然のことだが、それなら、中国や韓国などの周辺諸国との関係をもっと真剣に考えるべきだろう。靖国問題で周辺諸国との間に極めて重大な問題を引き起こしてきたこの間の経験から、財界は何を学んだのか。小泉前首相の靖国参拝でどれだけ“商売”が邪魔されたか、もう忘れてしまったのだろうか。
 この間の「景気回復」にしても、高成長を遂げている“中国特需”に牽引されたものである。韓国はもとより、中国、インド、ロシア、ベトナムなどとの経済・貿易関係は、今後ますます重要なものになっていく。日本の経済・産業活動にとって、これらの国々との良好な関係は決定的な意味を持つだろう。
 そのようなとき、憲法「改正」によって第九条を変え、自衛隊を本物の軍隊として集団的自衛権の行使を可能にし、米軍との一体化を強めていつでも海外派兵できるような体制を作ろうというのである。加えて、ナショナリズムの高揚と教育基本法「改正」による「愛国心教育」の強まりがある。
 これで、周辺諸国の懸念が強まらないはずがない。東アジアにおいて周辺諸国の信頼を勝ち得て尊敬されるような国になるためには、憲法九条を変えたり、軍事力を強化して平和国家としてのあり方を転換してはならない。これが、この間の教訓である。平和であってこその“商売”だとの信念を、企業経営者はいつから忘れてしまったのだろうか。

経営者の「公徳心」こそが問題 

 この「御手洗ビジョン」で、最も驚くべきことは、「CSRの展開・企業倫理の徹底」という項目が一七番目に来ていることである。「今後五年間に重点的に講じるべき方策」の一九ある課題のうちの後ろから三番目になっている。順序が逆だろう。本来なら、一番先頭に掲げられるべき内容ではないだろうか。
 お菓子の不二家、リンナイやパロマのガス湯沸かし器、関西テレビなどが問題を引き起こした。松下電器も石油ファンヒーターで欠陥品を出している。ソニーやトヨタといった日本を代表する大企業も大規模なリコールを行った。「雪印乳業、マルハ、日本ハム、コクド、パロマ工業―。二〇〇〇年以降の不祥事企業には名門も多い」(『東京新聞』二〇〇七年一月一八日付)と報じられているように、安全に対する意識や危機管理上の対応などはメチャクチャである。
 最近でも、日興コーディアル証券の粉飾決算、日本・第一・住友・明治安田の大手生保四社の保険金不払い問題、大林組・鹿島・清水建設など大手ゼネコンの談合事件、関電や東電のデータ改ざん、三菱東京UFJ銀行への一部業務停止命令、NOVAの立ち入り検査などがあり、御手洗氏出身のキャノンも違法な偽装請負が国会で追及されている。
 企業犯罪や不祥事が明るみに出て、経営幹部がそろって頭を下げるのが、今や日常の光景のようになってしまった。しかも、その結果として人命が失われている。JR西日本の福知山線事故では一〇七人が亡くなり、三菱自動車(現在の三菱ふそう)の事故でも死者が出ている。パロマやリンナイ、北海道ガスのガス漏れ事故では、情報を明らかにしていれば救われたはずの命が失われた。ガス中毒死は、過去二〇年間で一九九人にもなる。
 これらの事故や不祥事の再発防止は、企業経営者にとって何よりもまず取り組まなければならない最重要の課題だろう。「希望の国」というのであれば、まず自からが襟を正し、企業としての社会的責任をまっとうするべきである。大企業が集まっている団体の将来ビジョンなのだから、まず自分たち自身の行動をどう改めるのか、それについての考え方や方向性を示さなければならない。
 しかし、「御手洗ビジョン」には、このような意識は全くない。記述は通り一遍で、人ごとのようである。「教育再生、公徳心の涵養」や「憲法改正」の項目よりも「企業倫理の徹底」の文章の方が短いとはどういうことか。教育の再生による公徳心の涵養を論ずるのであれば、まず企業経営者自らの公徳心をこそ問うべきだろう。
 企業経営者の倫理観がいかに衰退しているか。経営者団体の社会的責任に対する自覚がいかに低下しているか。このことを何よりも明瞭に示しているのが、この日本経団連の文書だといえる。財界の政策文書としては明らかに“欠陥品”である。そのうちリコールして、「申し訳ありませんでした」と幹部がそろって頭を下げなければならなくなるような代物にほかならない。

日本の資産を食いつぶす「売国」のビジョン 

 さらに「ビジョン」は、国際競争力を確保するカギはイノベーションだとして「高コスト構造」の是正を謳っている。そこでは、先端技術でのイノベーションが強調されているが、これも問題である。中国や東南アジアなどの安い労働力に囲まれている日本は、コスト面で国際競争に打ち勝つことことはできない。したがって、イノベーションを重視することは誤りではないが、そのカギは「先端」ではなく「底辺」にある。
 戦後の日本が培ってきた競争力は、品質の高さであり製品に対する信頼性、ニーズに対する対応能力や独創性であった。このようなクオリティ(質)が確保されたのは、現場における労働力の質が高かったからであり、普通の労働者の技術や技能、いわば「現場力」によるものだった。
 ところが、バブル崩壊後のコスト削減やリストラによって、これらが次々と崩れてきた。これをどう立て直すかが、企業経営者としては最も考えなければならないことではないだろうか。
 日本には、国際的な面で比較優位の長所、資産がある。それは、戦後の長い時間をかけて培かわれてきたものだといえる。政治的資産でいえば、憲法九条であり、「九条の体系」といわれる非核三原則、武器輸出三原則、防衛費のGNP比一パーセント枠、あるいは専守防衛である。このような平和路線と「平和国家」としてのイメージを、どうして“商売”に生かそうとしないのだろうか。
 同じように、日本が世界の中で大きな役割を果たし尊敬される国となるための“武器”は軍事ではなく経済であり、通商だった。かつてそう考えた財界人も少なくない。松下幸之助氏は、日本は「武士国家」ではなく「商人国家」になるべきだと言っていた。
 「現場力」を高めるためには、労働者のやる気が決定的だ。働く人がそれなりに経営者を信頼し会社に愛着を持ち、いろいろ創意工夫して現場から品質を向上させることで良い製品が生まれる。イノベーションを現場から始めているところがたくさんあったのだ。それを、どう維持し発展させていくかを考えるべきだろう。
 このような戦後の日本が培ってきた政治的な資産や経済的・社会的な資産をみんなぶっ壊そうとしているのが、このビジョンなのである。御手洗氏が目指そうとしているアメリカ・モデルは日本の風土には根付かない。方向が間違っているのだ。
 今、世界で評価されているものにポップスやアニメがある。ところが、教育の現場では、大学受験に邪魔だからと音楽や美術は軽視されている。日本が国際的に評価される領域での教育を、逆に弱めようとしているわけだ。強めようとしているのは「日の丸・君が代」の強制であり、分権化に逆行する管理・統制だ。いったい何をやっているのかと言いたい。
 「御手洗ビジョン」の冒頭には、御手洗氏が二三年間米国で過ごしたと書いてある。このビジョンは、結局、アメリカに洗脳された人物の妄想にすぎない。小泉「構造改革」をリードした竹中平蔵氏にしてもこの御手洗氏にしても、日本をアメリカナイズさせ、日本の良さをなくそうとしている。このビジョンは愛国心のかけらもない「売国」の提言だ。「大企業栄えて民滅ぶ」ビジョンだと言うべきものだが、「民滅ぶ」ような社会で企業だけが「栄える」ことができるのだろうか。

(全農協労連『労農のなかま』第505号、2007年3月号、所収)