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6月18日(木) 「敵失」以外に挽回策が見えない政権与党の苦境 [政党]

 先週末に行われた世論調査からは色々なことが分かります。すでに指摘したこと以外にも、興味深い結果が示されています。

 その第1は、「麻生首相と民主党の鳩山代表とどちらが首相にふさわしいと思いますか」という問いに対する回答です。
 毎日調査では、「どちらもふさわしくない」という答えが46%と、半分近くに及んでいます。共同の調査でも、「分からない・無回答」が28.1%もありました。
 つまり、麻生さんに比べれば鳩山さんは数段ましではあるけれど、しかし、「首相にふさわしい」という点では、今ひとつ信頼感に欠けるというところでしょうか。これが岡田さんだったらどうなっていたか、興味のあるところです。

 第2は、「民主党が小沢さんを代表代理にしたことに納得できますか」という問いへの答えです。朝日の調査が、これについて聞いています。
 その答えは、「納得できる」28%、「納得できない」61%というものです。6割の人が納得していません。
 民主党への支持と期待が「ブーム」と言えるほど爆発的なものとなっていないこと、鳩山さんへの評価も、どちらと言えば、腰が引けた形になっているのも、この点に関わっているように思われます。もし、小沢さんが、代表代理ではなく選対部長程度だったら、納得しない人がこれほど多くなかったかもしれません。

 第3は、景気対策と定額給付金に対する評価です。朝日調査では、これについての設問があります。
 「麻生内閣の景気対策への取り組みを評価しますか」という問いへの答えは、「評価する」20%、「評価しない」62%です。また、「定額給付金を評価しますか」という問いへの答えも、「評価する」22%、「評価しない」60%という結果です。6割の人が、どちらも「評価しない」と答えています。
 これは大変興味深い結果だといって良いでしょう。利益誘導型政治はもはや有効性をもたず、財政的なバラマキは評価されないということですから……。

 有権者は、それなりに学び、賢くなったということかもしれません。あるいは、6割の人に気づかれるほど、麻生さんのやり方はあざとく、そのねらいも分かりやすかったということなのでしょう。
 麻生さんからすれば、「大判振る舞いしてやったのに何だ」と言いたいところでしょう。とりわけ定額給付金について、国民は受け取りながら批判しているのですから、理解できない思いではないでしょうか。
 選挙目当てのバラマキで何とか支持率を回復させたいという目論見は、結局、成功しなかったということになります。景気対策は6割の人から評価されていませんから、それが効果を発揮しても、支持率の回復には結びつかないということなのですから……。

 こうなると、残された道は「敵失」頼みということになります。麻生さんは二つの「敵失」に望みを託しているのかもしれません。
 その一つは、明日に予定されている西松建設の違法献金事件の初公判です。ここで新しい事実が明らかにされ、民主党の小沢代表代理がさらに追い込まれるという事態になることを願っているにちがいありません。
 しかし、何も新しい事実が出てこなければ、「国策捜査」ではないかという検察批判が再度、沸騰するでしょう。自民党にとっても政府にとっても、一つの賭なのではないでしょうか。

 もう一つは、障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件です。厚生労働省の当時の課長だった村木厚子容疑者が逮捕されました。
 この事件は「議員がらみ」だとされ、背後に国会議員がいるとされています。それは、民主党の議員だというのです。
 この事件についての捜査が民主党にまで及べば、その勢いを殺ぐことができるのではないかという思わくでしょう。いや、そのための「第2の国策捜査」なのではないかとの疑いすらあります。

 しかし、これも事件の全容は不明であり、明らかになったからといって、それが民主党にどれだけ不利になるのか、選挙に影響するのかは分かりません。
 「捕らぬ狸の皮算用」にすぎないということです。逆に、このような事件まで利用して選挙に勝ちたいのか、という批判を招く可能性もあります。
 これもまた、自民党や政府にとっては、先の読めない賭けだということになるでしょう。このような「敵失」に頼らなければならなくなっているところに、挽回策が見えない政権与党の苦境が示されていると言うべきかもしれません。

6月17日(水) 世論調査結果が予示する支持政党なし層(無党派層)の投票行動 [政党]

 昨日のブログで、先週末に行われた各種世論調査について紹介しました。その最後で、「この世論調査には注目すべき点があります」と書きました。
 今日は、この点について書くことにしましょう。

 それは、公明党と共産党の支持率と比例区での投票予定との関係です。この点に注目して、先の調査結果をもう一度見てみます。

    政党支持率→比例区での投票予定   政党支持率→比例区での投票予定
共同:公明2.1%→2.7%               共産2.0%→3.2%
朝日:公明3→3                    共産2→3
読売:公明3.5→3.9                  共産2.7→3.2

 毎日と日経の調査では比例区の投票予定を聞いていません。政党支持率では、日経の調査だけが公明党の支持率を共産党が上回っています。
 それよりも注目すべきなのは、共同の調査です。公明党が支持率(2.1%)では共産党(2.0%)を上回っているのに、比例区での投票先(2.7%)では、共産党(3.2%)を下回っています。
 つまり、共産党では支持していないのに投票する人が公明党よりも沢山いるということ、その結果、支持率は低くても比例区での投票では公明党を上回る可能性があるということを示しています。共産党の支持率よりも比例区での投票予定の方が高くなるのは、朝日(2→3%)や読売(2.7→3.2%)でも同様です。

 実は、支持率よりも比例区での投票予定の方が高くなる現象は、民主党でも生じています。同じように、自民党と民主党を比較してみましょう。

    政党支持率→比例区での投票先   政党支持率→比例区での投票先
日経:自民31%→26%               民主37%→39%
読売:自民25.0→24.5               民主29.2→41.5
朝日:自民22→23                   民主29→43
毎日:自民20→27                  民主34→53
共同:自民19.8→18.7                民主38.5→47.8
 
 自民党では、朝日(22→23%)と毎日(20→27%)を除いて、政党支持率よりも比例区での投票先の方がダウンしています。つまり、支持しているのに比例区では投票しないという人がいる(日経調査では5ポイント減)ということになります。
 これに対して、民主党の場合、どの調査でも政党支持率よりも比例区での投票先の方が多くなっています。最も差が小さい日経調査では2ポイント、最も差が大きい毎日調査では19ポイントもアップしています。
 このような差は、支持政党なし層(無党派層)の投票行動を予示しているように思われます。その結果、支持率で自民党を上回っている民主党は、比例区での投票先ではさらに無党派層を惹き付け、その差を拡大しているということになります。

 これらの結果から、普段は支持政党を持たない無党派層が、今度の総選挙では民主党や共産党に投票する意向を示しているということが分かります。このような傾向は、多分、都議選についても同様でしょう。
 つまり、総選挙前に行われる可能性が高い都議選での自民党の敗北は、おそらく避けられないということになります。公明党は苦戦し、共産党に追い抜かれる可能性もあります。
 というのは、このような投票行動を選択する無党派層が最も多いのは都市部だからです。無党派層の動向は、最近の選挙で大きな変動要因となってきましたが、今度の都議選と、おそらくはそれに引き続く総選挙においても、劇的なドラマを演出することになるのではないでしょうか。

 今回の世論調査には、これ以外にも興味深い点があります。これについては、また明日。

6月16日(火) 各種世論調査が示す自民党敗北の予兆 [政党]

 「厳しいかもしれませんが点数はつけられません。マイナスです」と言い切るのは法大教授の五十嵐仁氏(政治学)だ。
 その理由は?
 「まず、基礎的学力がなさ過ぎます。漢字は読めない、ウズベキスタンとカザフスタンを間違うなど、大人としての知識・教養が決定的に欠如しています。だから、過去の事例を検証もせず小渕内閣で失敗したバラマキ対策を平気でやってしまう。さらに、これが最大の問題ですが、リーダーとしてもっとも大切な決断力がない。解散からは逃げまくり、発言もブレまくる。ご本人にとっても、首相にならないほうがよかったのではないでしょうか」

 これは、6月13日付の『日刊ゲンダイ』に掲載された私のコメントです。麻生内閣に「何点つくだろうか」という問いに対する答えでした。
 ここで「ウズベキスタンとカザフスタンを間違うなど」と言ったのは、サッカーのワールドカップ・アジア予選の試合が行われた国を間違えたからです。「など」というのは、チェコとスロバキアが分離して別の国なっているのに、「チェコ・スロバキア」と言っていたからです。
 これらは、「基礎的学力」や「知識・教養が決定的に欠如」している一例にすぎません。このような「アホー首相」を国民が見放しているということは、先週末に実施された各紙の世論調査結果にはっきりと示されています。

 たとえば、麻生内閣に対する支持率、不支持率は次のようになっています。

共同:支持率 17.5%  不支持率 70.6%
朝日:支持率 19%   不支持率 65%
毎日:支持率 19%   不支持率 60%
読売:支持率 22.9%  不支持率 67.8%
日経:支持率 25%   不支持率 65%

 一番厳しい調査結果は共同の17.5%で、一番甘い調査結果は日経の25%です。それでも、不支持率が60~70%という点では、各紙とも共通しています。
 つまり、麻生内閣に対する支持率は2割前後、不支持率は6割以上ということになります。世論調査の数字としては、明確な不信任を突きつけていると言うべきでしょう。

 また、「どちらが首相にふさわしいか」という問いに対する答えは、以下のようになっています。

共同:鳩山さん 50.4%  麻生さん 21.5%
読売:鳩山さん 46%   麻生さん 26%
朝日:鳩山さん 42%   麻生さん 24%
毎日:鳩山さん 32%   麻生さん 15%
日経:鳩山さん 26%   麻生さん 10%

 この場合も、鳩山さんが一番多くなっているのは共同(50.4%)で、少なくなっているのは日経(26%)です。麻生さんの方は、最多が読売の26%で、最少が日経の10%です。
 つまり、麻生さんの最多が、鳩山さんの最少と同じ数字になっているということです。現職の首相としては、みっともないこと、この上もありません。
 鳩山さんと麻生さんの差を比べれば、最大が共同の28.9ポイントで、以下、読売20ポイント、朝日18ポイント、毎日17ポイント、日経16ポイントとなっています。麻生さんの不人気ぶりが際だっているということは、一目瞭然です。

 望ましい政権の枠組みという点ではどうでしょうか。この点でも、民主中心の方が、朝日では29ポイント、共同では21ポイント、日経でも16ポイント、多くなっています。
 特に、朝日の調査では、民主中心の方が自民中心よりも2倍以上も多くなっていること、民主中心が5割を超えていることが注目されます。

朝日:民主中心 52%   自民中心 23%
共同:民主中心 35.9%  自民中心 14.9%
日経:民主中心 29%   自民中心 13%
読売:民主中心 27.1%  自民中心 12.3%

 次期衆院選での投票先ではどうでしょうか。「比例区ではどの党に投票しますか」という問いに対する答えは、次のようになっています。
 いずれも、民主党が自民党を上回り、その差は、最大で26ポイント(毎日)、最小でも13ポイントあります。

毎日:民主党 53%   自民党 27%
共同:民主党 47.8%  自民党 18.7%
朝日:民主党 43%   自民党 23%
読売:民主党 41.5%  自民党 24.5%
日経:民主党 39%   自民党 26%

 最後に、政党支持率を見ておきましょう。各党の支持率は次のようになっています。

    自民   民主   公明    共産   社民   国民新  改革ク  新党日本
日経:31%   37%    3%    4%    2%   1%    0      0
朝日:22     29     3     2     1     0      0      0
毎日:20     34     4     4     1
共同:19.8   38.5    2.1    2.0     1.8     0.5    0.1     0.12
読売:25.0   29.2    3.5    2.7     1.1     0.2     -     -
 
 このような結果を見れば、今、選挙をすれば自民党は民主党に負けるということは、誰にでも分かることです。このような傾向に大きな変化がなければ、次の総選挙での自民党の敗北は避けられません。
 総選挙での関心は、もはや自民党が負けるかどうかではなく、どれほどの敗北を喫するかという点に移ることになるでしょう。逆に言えば、民主党が単独で過半数を獲得できるかどうかという点です。
 その可能性は、次第に強まってきているようです。1993年10月に行われたカナダの総選挙で与党の進歩保守党が前回の169議席からたったの2議席になってしまったというほどの大敗北にはならないでしょうが……。

 ところで、この世論調査には注目すべき点があります。長くなりましたので、これについては、また明日。

6月15日(月) 梅雨がないはずなのに-北海道の旅 [旅]

 昨日、というより、今日、北海道の旅から帰ってきました。たった一泊の旅でしたが、その中身の濃かったこと。
 「1年で1番美しい季節」のはずでしたが、「雨男」の私です。やはり、「雨」に歓迎されてしまいました。

 何と言っても、帰りが大変でした。飛行機の出発が1時間も遅れ、終電に間に合うかどうか、ギリギリだったからです。
 私が乗るはずの飛行機は、20時50分新千歳発のエア・ドゥ26便でした。ところが、乱気流に巻き込まれたとかで、乗るはずの飛行機の到着が遅れてしまったのです。
 このため、22時20分に羽田到着予定だったのに、1時間後の23時20分の到着でした。急いでモノレールに駆け込んだのが23時35分、浜松町で大宮行きが出たのが午前0時2分、何とか神田で0時20分の高尾行き最終電車に間に合いました。

 やっと家にたどり着いたときは、午前1時半を超えていました。冒頭で、「今日、帰ってきた」と書いたのは、このような事情だったからです。
 飛行中、私たちも乱気流に巻き込まれるのではないかとヒヤヒヤしましたが、それは大丈夫でした。それほど揺れることもなく順調で、予定時間より少し早めに着いたほどです。
 そのお陰で、何とか最終電車に間に合いました。そうでなかったら、昨晩は都心のホテルに足止めされていたところです。

 これも含めて、今回の北海道行きは、大変、印象深い旅になりました。土曜日に最後までお付き合いいただいた北大のUさん、小樽商科大のKさん並びに私大教連北海道と全大教北海道の皆さんには、この場を借りてお礼申し上げます。
 また、昨日、車を運転して案内してくださったYさん、このドライブに付き合ってくださったTさんの旧友お二人にも、お礼を言いたいと思います。ありがとうございました。
 お陰様で、有意義なだけでなく、楽しい北海道行きになりました。梅雨のないはずの北海道なのに、雨が降ったり止んだりの生憎の天気だったのは残念でしたが……。

 今回の北海道行きの目的は、北海道の大学関係の教職員組合に呼ばれて、労働問題のセミナーで講演するためでした。先週の週末は東京土建の幹部学習会で伊東温泉に行き、「情勢の特徴と労働組合の役割」について話をしましたが、今回のテーマは「労働政策の転換と非正規雇用-民間部門と公共部門の対比を意識して」というものです。
 このようなテーマでの講演を頼まれたのは、大学でも非正規労働者が増えているからです。そればかりでなく、1年任期で更新は3年までという例が多くなっています。
 この問題をどう考えたらよいのか。この間の労働の規制緩和・非正規労働者の増大から再規制への反転という流れの中に位置づけて話をして欲しいというわけです。

 非正規労働者の更新を3回で打ち切ることには、何の根拠もありません。3年経ってようやく仕事になれてきたところで契約を打ち切られれば、働いている当人はもちろん困るでしょうが、働いてもらっている現場も混乱し、様々な問題が生じます。
 担当している仕事が期限付きのプロジェクトで、3年で終了するというようなものなら話は分かります。しかし、継続性の強い仕事で雇い止めをした後に新人を雇わなければならないというのでは、全くの愚行だと言うしかないでしょう。
 ある大学では、3年に一度、大混乱が生じて困っているという話も聞きます。このような愚行を止めさせるために大学関連の教職員組合全体で取り組めば、3年や5年の有期雇用を撤廃させることは十分可能でしょう、というような話をしてきました。

 講演終了後、北大正門前のジンギスカン料理「義経」でご馳走になりました。組合でよく使うお店だそうです。
 「持ち込み自由」だというので、わざわざ地酒の「国稀北海鬼ごろし」と「北海道ワイン」の赤を用意していただきました。このブログの読者の方もおられ、私が「地酒党」であるということをご存知だったようです。
 思わぬところで、ブログの効用が発揮されたというわけです。美味しいジンギスカン鍋、今が旬のアスパラガスやホタテのお刺身などを堪能させていただきました。

 この日の宿は、大通公園近くの「プリンスホテル札幌タワー別館」です。「立派なホテルをとっていただきまして」と言いましたら、「いやー、YOSAKOI祭りでどこも一杯で、ここしか空いていなかったんですよ」と仰います。
 ホテルでチェックインの手続きをした後、Uさん、Kさんと一緒に、その「YOSAKOI祭り」を見に行きました。大通公園周辺で、夜9時半までやっているというのです。
 「意外と夜はいいですね。昼だと、人が一杯で見るのも大変ですよ」と、案内してくださったUさんは仰います。公園の脇の道路や公園内の特設舞台では、それぞれの連が趣向を凝らして踊っていました。

 すごい迫力です。元気いっぱい踊っている姿を見て、そのエネルギーに圧倒されるような気がしました。
 幸い、雨は上がっています。街の闇をバックに、踊りに弾ける若者の明るさが一段と映えるようでした。
 踊りが終わった後、近くの小料理屋に直行したことは言うまでもありません。「千代鶴」の「蔵」をいただきながら食した「八角」の唐揚げや「ほっけ」の刺身(「煮付け」ではありません。念のため)の美味しかったこと……。

 翌日の14日(日)、朝起きてすぐにカーテンを開き、空を見上げました。ドンヨリとした灰色の雲が垂れ下がっています。
 見下ろすと、道路が濡れているように見えます。雨のようです。ああ……。
 この日は、古い友人のYさん、Tさんと一緒に、「蝦夷富士」として名高い羊蹄山までドライブする予定でした。せっかくの北海道の休日なのに、またも「雨男」の本領発揮とは……。

 この日のコースは、札幌の奥座敷と言われる定山渓温泉を経由し、中山峠を下って京極に出た後、羊蹄山の周囲を一周し、真狩、ニセコ、留寿都を通って支笏湖に立ち寄り、新千歳空港に至るというものです。Tさんが、事前に下調べしてくれました。
 最初のビューポイントは中山峠で、ここからの羊蹄山の眺めは絶景だそうですが、雨が降っていて何にも見えません。おまけに雪まで残っていて、寒々とした光景でした。
 次に立ち寄ったのは京極の「ふきだし公園」です。羊蹄山に降った雨や雪が地下に浸透し、崖の途中や岩から噴き出すという勇壮な光景を目にしました。

 ということで、途中、特産のジャガイモのコロッケとトンカツの昼食を摂ったり、細川たかしの歌う姿の銅像や道の駅「大滝」に立ち寄ったり、誰もいない静かな支笏湖の湖畔を散策したりしました。何とも、水っぽい一日だったという印象です。
 しかし、東京よりは一カ月遅れているような緑の新鮮さ、美しさ、波打つ大地に延々と続くジャガイモ畑、どこまでも伸びる道路の果てしなさなど、大自然の息吹を感じ、北海道の魅力を十分に堪能することができました。
 おまけに、帰るときの飛行のトラブルや遅延まであって……。秀麗な「蝦夷富士」の姿を拝めなかったのは残念でしたが、誠に印象深い、忘れがたい旅になりました。

 「夏に、またきますから。8月に会いましょう」と、皆さんには再会を約束して、別れてきました。8月8日(土)から酪農学園大学(北海道江別市)で開かれる「第20回全国私大教研集会」http://www.jfpu.org/shidaikyoken/20shidaikyoken/20shidaiken_information.htmで講演することになっているからです。
 今度は政治問題を扱い、政治学者としての登場ということになります。テーマは、「新自由主義政策と政権はどこへ向かうか(仮題)」とされていますが、総選挙の時期によって内容は大きく変わるでしょう。

 鳩山邦夫総務大臣の辞任、千葉市長選挙での敗北、内閣支持率の急落(日本テレビ12~14日調査で支持率は23.5%と9.4ポイント減)と、麻生さんにとっては頭の痛くなるような出来事が続いています。8月8日まで、麻生「政権」は持つのでしょうか。

6月8日(月) 伊東温泉ホテル聚楽の「東京土建幹部学校」で講演してきた [日常]

 「東京土建の幹部の皆さんが、こんなに沢山いらっしゃるとは思いませんでした。」
 これが、「東京土建幹部学校」の講演での、私の第一声です。昨日の朝10時半のことでした。

 伊東温泉のホテル聚楽1階のホールを埋め尽くした顔、顔、顔。全部で600人弱だそうです。
 これが皆、東京土建の支部を担う幹部の皆さんだといいますから、驚きました。この日の朝、都内各所からバスを何台も連ねて、ここまでやってきたのです。
 幹部学校は2日間の予定で、最初の講演が私です。午後はジャーナリストの斉藤貴男さんで、昼食の時、久しぶりにお目にかかりました。

 ホテル聚楽といえば、伊東温泉でもかなり大きいホテルです。でも、それだけでは会場が足りないようで、2日目の分科会は聚楽だけでなくサン・ハトヤも使うといいます。
 これだけ大規模な「幹部学校」を開くのですから、東京土建の組織力は大したものです。600人を前に、私の話にも自然と熱が入りました。
 東京土建は組合員13万人で、日本で3番目に大きい単位組合だそうです。春の「拡大期間」に5000人以上の組合員を増やしたと報告されていました。

 地域を基盤にした個人加盟の労働組合でも、これだけ大きな組合を作ることができるという好例でしょう。東京土建は大工さんや工務店などで働く人々の組合で、全建総連という全国組織に加盟しています。
 全建総連の組合員は70万人もいて、産業別の全国組織としては日本で4番目に大きな労働組合です。そういえば、我が家の斜め前の家の屏にも、東京土建八王子支部のポスターが貼られていました。
 数が多いだけでなく、このような学習会を定期的に開いているそうです。ただし、泊まり込みでやるのは、お金の関係で隔年だそうですが……。

 同じ全建総連傘下の京健労(全京都建築労働組合)でも、6月28日(日)に講演することになっています。こちらも「労働学校」ですが、今度は「終了式・記念講演会」の最後で、大谷ホールが会場です。
 その前に、今週末には北海道大学での講演で、札幌まで行かなくてはなりません。「講演月間」は、まだまだ続きます。


6月4日(木) 規制緩和と労働問題 [論攷]

〔以下の論攷は、『歴史地理教育』2009年6月号に掲載されたものです。〕

規制緩和と労働問題

 〇八年の暮れから今年にかけて、「派遣切り」「非正規切り」が大きな社会問題になりました。世界第二位の経済大国の首都に忽然と姿を現した「年越し派遣村」は、その直接的な結果だったのです。〇九年三月の年度末に向けて、厚生労働省の試算でも一二万五〇〇〇人、業界団体の予測では四〇万人もの人々が職を失うとの予想もありました。
 どうして、このような問題が生まれたのでしょうか。なぜ、これほどの短期間に、これほど多くの人が職を失うようになってしまったのでしょうか。

1 雇用情勢が悪化した二つの背景

 大量解雇を生み出した雇用情勢悪化の背景として、二つの事柄が考えられます。簡単にいえば、外因と内因です。
 一つは、昨年の米金投資会社・リーマンブラザーズの破綻に始まった金融・経済危機の影響です。それは日本だけでなく、世界各国に波及しましたが、とりわけ、北米市場などへの輸出に依存していた日本の経済は需要の激減と円高というダブルショックによって大きな打撃を受けました。
 〇八年一〇~一二月期の実質GDPは年率に換算してマイナス一二・七%になりました。危機の震源地であったアメリカでさえ三・八%であったのに比べれても、日本の落ち込みは際だっています。
 それは、日本国内の需要も大きく落ち込み、足腰を弱らせていたからでした。これが雇用情勢を悪化させたもう一つの背景です。日本経済は〇二年から〇七年一〇月まで戦後最長の好景気になりました。この間、大企業は五年連続で過去最高益を更新し続けましたが、中小企業や労働者は、その恩恵を受けることができず、逆に、利益や収入を減らしてきたのです。
 大企業は正規労働者を減らして、賃金が安く雇用調整をやりやすい非正規労働者を増やしてきました。その結果、派遣など非正規労働者が増大し、働いているのに貧しいワーキングプアが大量に生まれました。雇用労働者のうち、生活保護基準にも満たない年収二〇〇万円以下の低収入の労働者は一〇〇〇万人を越えています。
 収入が少なければ、使うことのできる可処分所得は少なく、個人消費が停滞するのは当然です。もし、日本経済が堅調な内需に支えられていれば、GDPが短期間にこれほど大きく落ち込むことはなかったでしょう。
 つまり、日本における深刻な経済危機の背景には貧困の拡大があり、また、その背景には非正規労働者の増大という現象がありました。とりわけ、大きな意味を持ったのが労働分野での規制緩和だったのです。

2 労働分野における規制緩和

 「政府の規制緩和の掛け声には、『規制緩和=善』というイメージばかりが先行しているように思えてならない。これは大変危険なことだ。ともすれば、規制緩和の大合唱の中で、雇用という切実な問題が見落とされがちになることを、私は本当に心配しているのだ」(橋本龍太郎『政権奪回論』二〇五ページ)
 これは、野党時代の橋本龍太郎さんが書かれた本の一節です。橋本さん自身は、その後「政権奪回」に成功し、首相として「六大改革」を打ち出します。結局、「規制緩和」を推進することになるわけですが、その後の推移は、橋本さんの「心配」どおりになったと言ってよいでしょう。
 ここで指摘されているように、長いあいだ「規制緩和=善」という思い込みがあったように見えます。もちろん、経済や社会の変化に応じて古くなる規制もありますから、緩和したり撤廃したりする必要も出てくるでしょう。問題は、必要にして適切な規制であるかどうかという点にあります。
 このような判断なしに、「規制緩和」「官から民へ」という大合唱の下で、労働の分野でも規制緩和が進められました。それは、主として労働時間政策と労働市場政策の二つの分野で目立ちました。
 前者の労働時間管理の弾力化は、裁量労働制の新設などという形で進められました。しかし、〇七年の「労働国会」で導入されようとしたホワイトカラー・エグゼンプションは、強い反対運動に直面して断念されます。これに対して、後者の労働市場の弾力化をめざした政策変更は、労働者派遣法の制定と拡大を通じて着々と進められてきたのです。

3 労働者派遣法の制定

 派遣労働とは、派遣元の事業所に雇用された労働者が派遣先の会社で働くことです。労働者は派遣先の事業所の指揮命令を受けますが、雇用契約は派遣元の企業と結ばれています。
 このような働き方は「手配師」「口入れ業」などによる労務供給という形で戦前からありました。しかし、多額のピンハネがなされたり人身売買まがいの取引を生んだため、職業安定法第四四条「労働者供給事業の禁止」などによって基本的に戦後は禁止されました。つまり、中間搾取を認める派遣労働はもともと認められていなかったのです。
 しかし、戦後になってからも派遣労働がなくなったわけではありません。様々な名目で事実上の派遣労働は残りました。八〇年代に入って以降、「使い勝手」の良い労働力を求める産業界の要望や、派遣労働を法的に位置づけて規制した方がいとの意見などもあり、一九八五年に「労働者派遣事業法」(派遣法)が成立し、翌八六年七月から施行されることになります。
 このときは対象業務を限定するポジティブリスト方で、ファイリングや通訳などの一三業務で派遣労働が認められたにすぎませんでした。施行後すぐに三業務追加されて一六業務となりましたが、専門性が高く、一時的に必要とされるものに限られていたわけです。
 その後、九五年五月には日経連「新時代の『日本的経営』」が発表されて労働市場の弾力化の方向が示されます。続いて一二月には、労働組合の連合(日本労働組合総連合会)も「規制緩和の推進に関する要請」を出すなど、規制緩和は「時代の空気」になっていきました。このような「空気」の中で、九六年には対象業務が、アナウンサー、研究開発、添乗などの二六業務に拡大されていきます。しかし、それでもまだ例外とされていたのです。

4 ネガティブリスト化によって一挙に拡大

 このような派遣法の論理を逆転させたのが、九九年の改正でした。これによって、派遣労働は一挙に拡大していくことになります。
 九九年一二月に改正派遣法が施行され、港湾運送・建設・警備の業務、その他政令で定める医療関係・物の製造・医師や弁護士、社会保険労務士など一部の専門的業務を除いて、対象業務が自由化されました。これが、ネガティブリスト方式によるポジからネガへの反転です。
 この改正には、自民党・公明党・民主党・自由党が賛成し、共産党だけが反対しました。社民党は政党としては賛成したものの、福島瑞穂・大脇雅子・照屋寛徳の三議員は反対しました。
 二〇〇三年には、製造業への派遣も解禁されています。今回、自動車や電機関連工場などでの「派遣切り」が大きな問題となりましたが、このときの緩和がなければこのような問題は生じなかったでしょう。
 規制が緩和されたのは、対象業務だけではありませんでした。専門性の高い二六業務については派遣可能期間の制限が撤廃されています。それ以外は最長期間が一年から三年に延長され、〇七年には、製造業の派遣期間の上限も同様に拡大されました。こうして、派遣期間を「短期・臨時」とする原則を徹底するとされたものの、実際には恒常的な性格が強まることになります。
 これらの規制緩和の結果、一九九六年には七二万人にすぎなかった派遣労働者は、二〇〇〇年には一三九万人とほぼ倍増しました。〇三年には二三六万人と三倍以上になっています。

5 派遣労働の再規制

 その後も、製造業への解禁を受けて急増は続きました。〇七年には三八一万人となり、〇四年との比較では、わずか三年で一五四万人も増えたのです。
 このような派遣労働者の急増によって、日雇い派遣がワーキングプアの温床となり、「派遣切り」による大量解雇が発生しました。その結果、派遣労働の再規制が政策課題として浮上してくることになります。
 舛添要一厚生労働大臣は製造業派遣を禁止する必要性に言及し、民主党の枝野幸男議員は「労働者派遣法の改悪に賛成したのは間違いだった」と認めるにいたりました。広島労働局の落合淳一局長は製造業への派遣を解禁した〇三年の改正について「私はもともと問題がある制度だと思っている」と述べ、「謝りたい」と発言して注目されました。
 派遣労働の規制には、働き口が無くなるという反対論があります。しかし、問題は、派遣の規制緩和によって労働の量は増えましたが質が低下し劣悪化したという点にあります。ワーキングプアを生み出すような労働は根絶されなければなりません。
 今国会に政府が出した改正案は、日雇い派遣(日々または三〇日以内の期限を定めて雇用)の原則禁止が盛り込まれましたが、登録型派遣はそのままで、事前面接や雇用申し入れ義務の規制緩和なども入っています。「薬」だけでなく「毒」も沢山入っているというわけです。
 このような「毒」は入れず、少なくとも、登録型派遣の原則禁止、マージン率の上限規制、製造業への派遣禁止などの「薬」をもっと多くしなければ、「病気」の治療には役立たないでしょう。

6 働き方の歪みを正すために

 労働基準法第一条は、「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」と謳っています。このような労働条件は、日本社会が正常に維持・拡大するための必要条件ですが、現実にはそうなっていません。
 〇八年の出生数から死亡数を差し引いた人口の「自然増加数」はマイナス二万九八一一人で、二年連続の人口減となりました。初めて減少に転じた〇五年を含めて三度目です。
 一五~六五歳の生産年齢人口の減少はもっと早く、九七年をピークに、九八年からは減り続けています。九八年は自殺者が三万人を超えた年でもあり、その後、それは一一年連続で続いています。つまり、人口だけをとってみても、日本社会は瓦解と縮小への道に入り込んでいるということなのです。
 このような「滅びへの道」から抜けだし、持続可能な社会へと復帰するためには、規制緩和によって生じた働き方の歪みを是正しなければなりません。そのためには、雇用・賃金・労働時間という三つの面での問題解決が必要です。
 第一に、働く意思と能力があれば誰にでも働く機会が保障されなければなりません。労働力は「商品」だとしても、それは生きた人間に宿るものです。血の通った「生き物」ですから、雇用形態が多様化しても雇用そのものが切断されないようにする必要があります。
 第二に、普通に働けば普通の生活をおくれるだけの収入が保障されなければなりません。いくら働いても生活できない「ワーキングプア」は異常です。「働いても生活できない」日本と「働かなくても生活できる」EUと、どちらが生きやすい社会なのでしょうか。
 第三に、働く人の健康を破壊せず家庭生活を阻害しない適正な労働時間を実現しなければなりません。年休を一〇〇%取得し、夜は家族が揃うというのが当たり前の姿でしょう。仕事と生活との調和をめざすワーク・ライフ・バランスや、家庭生活を阻害しないファミリー・フレンドリーな働き方へと変えていくことが必要です。
 人が人として尊重され、人間らしい働き方を実現することなしに、人々が希望を持って働き生きることができる持続可能な社会に転換することは不可能です。そのためにも、まず、労働者を「物」扱いにする派遣という働き方を根本的に改める必要があるのではないでしょうか。

6月1日(月) もはや言い逃れできなくなった「核持ち込み」密約 [スキャンダル]

 「核は米軍によって密かに日本に持ち込まれていた。これまで日本政府は、新安保条約に規定された事前協議を盾に、国民に嘘を突き通してきた。この嘘は、安保条約改定に際しての『密約』に基づくものである。」

 これは、拙著『戦後政治の実像-舞台裏で何が決められたのか』(小学館、2003年)の一節です。詳しくは、拙著第4章の「日米関係の舞台裏」の第1節「核持ち込み容認の『密約』」(105頁以下)をご覧になって下さい。
 このような「密約」の存在が事実であったことが、またも暴露されました。日本政府は、もはや言い逃れできないところに追い込まれたと言って良いでしょう。
 共同通信が配信した以下のような記事が、今日の『東京新聞』の一面に大きく出ているからです。記事は、「60年安保『核持ち込み』 密約、外務官僚が管理 伝達する首相を選別」という見出しの下、次のように報じています。

 1960年の日米安全保障条約改定に際し、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを黙認することで合意した「核持ち込み」に関する密約は、外務事務次官ら外務省の中枢官僚が引き継いで管理し、官僚側の判断で橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら一部の首相、外相だけに伝えていたことが31日分かった。4人の次官経験者が共同通信に明らかにした。
 政府は一貫して「密約はない」と主張しており、密約が組織的に管理され、一部の首相、外相も認識していたと当事者の次官経験者が認めたのは初めて。政府の長年の説明を覆す事実で、真相の説明が迫られそうだ。

 今回分かったのは、「密約」が存在していることではありません。それは以前から知られていました。何せ、6年前に出した私の本でも書かれているくらいですから……。
 しかし、政府関係者がこの「密約」の存在を認めることはありませんでした。今回の記事が重要なのは、「当事者の次官経験者が認めたのは初めて」だからです。それも、「4人の次官経験者」が明らかにしたというのですから、もう、しらばっくれることはできないでしょう。
 「文書を見たという次官経験者は『次官引き継ぎ時に「核に関しては日米間で(非公開の)了解がある」と前任者から聞いて、次の次官に引き継いでいた。これは大秘密だった』と述べた」そうです。そう、「大秘密」が、今回初めて関係者によって暴露されたというわけです。

 それにしても、驚くばかりです。「密約がほごになると懸念した当時のライシャワー駐日大使は63年4月、大平正芳外相(後に首相)と会談し『核を積んだ艦船と飛行機の立ち寄りは「持ち込み」でない』との解釈の確認を要求。大平氏は初めて密約の存在を知り、了承した。こうした経緯や解釈は日本語の内部文書に明記され、外務省の北米局と条約局(現国際法局)で管理されてきたという」のですから。
 外相が知らないことを、「外務省の北米局と条約局(現国際法局)で管理」していたのです。そして、「橋本、小渕両氏ら外務省が信用した政治家だけに密約内容を知らせていた」というのです。
 「(密約内容を話していい首相、外相かどうか)役人が選別していた」のであり、「国家機密の取り扱いを大臣でなく官僚が決めていた」というのですから、呆れかえってしまいます。まさに官僚主導そのものであり、政治家や大臣は官僚の手のひらの上で踊る操り人形にすぎないということになります。

 つまり、官僚によって「信用」されない政治家に、この密約は知らされなかったのです。これまで「密約はない」と答弁した首相は、信用されず、知らされていなかったのかもしれません。
 もし、麻生首相が同じように問われれば、「そんな密約はない」と答えるに違いありません。麻生さんが、このような「大秘密」を知らされるほどに、外務官僚から信用されているとは思えませんから……。