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8月2日(日) 「友愛会創立を記念する会」に出席してきた [日常]

 昨日の土曜日(8月1日)、芝の友愛会館で開かれた「友愛会創立を記念する会」に出席し、記念講演を聞き、レセプションに出てきました。レセプションには、高木連合会長も出席してあいさつをされました。

 2009年は、賀川豊彦が神戸のスラム街でキリスト教の伝道と救貧活動を始めた1909年から100年という節目の年に当たります。この「賀川豊彦献身100年」を記念して、友愛会館6階にある友愛労働歴史館では「賀川豊彦と労働運動」という展示会http://www.yuairodorekishikan.jp/59.htmlを行っています。
 この友愛労働歴史館は、私が代表幹事を務めている労働資料協(社会・労働関係資料センター連絡協議会)http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rodo/top.htmlの会員です。秋の総会では、この展示会についての報告もお願いしてあります。
 という関係もあって、この日のイヴェントに顔を出したというわけです。それに、「賀川豊彦と友愛会・総同盟」という加山久夫明治学院大学名誉教授による記念講演にも興味がありましたし……。

 講演が終わってから、6階にある友愛労働歴史館に顔を出し、ざっと展示を見せていただきました。その後、レセプションにも出席しましたが、連合の高木会長があいさつをされたのには驚きました。
 というのは、総選挙の投票日まで1ヵ月ですから、全国を飛び回っているのではないかと思っていたからです。選挙活動の合間を縫って顔を出されたのでしょうが、それだけこの会の位置づけが高いということになります。
 なお、友愛会館は9月末に閉館し、新友愛会館の建設に入る(竣工予定2012年)ため、友愛労働歴史館も8月5日から一旦閉館するそうです。この日の会は、友愛会館閉館以前の最後のイヴェントでした。

 友愛会は1912(大正1)年8月1日に鈴木文治ら15人によって創立されますが、その後、労働組合としての性格が強くなり、19年に大日本労働総同盟友愛会、21年には日本労働総同盟に改称されます。40年には大日本産業報国会に合流して姿を消しますが、戦後の46年に総同盟(日本労働組合総同盟)として再建され、以後、64年に同盟(全日本労働総同盟)となり、87年に民間連合(全日本民間労働組合総連合会)の結成にともなって解散、その2年後の89年、民間連合は官公労組合との「官民統一」によって今日の連合(日本労働組合総連合会)になりました。
 つまり、連合のルーツをたどれば、友愛会に行き着くというわけです。わざわざ会長の高木さんが出席されたのも、ある意味では当然かもしれません。

 それに、70~80人が参加していたこの会には、旧同盟系や旧民社党系の労働組合や政党幹部のOBが沢山参加していました。現役の幹部にも隠然たる影響力を持っているであろう古参活動家のネジを巻き、総選挙に対する取り組みを強めるという目的もあったでしょう。
 連合の高木会長は、あいさつの中で、「民主党への風が吹いているようだが、自力で生みだしたものではなく自民党の失政によるものだ。まだ、何が起こるか分からないから、ふわふわとしていては困る」というような話をされました。楽観論を戒め、陣営内を引き締める趣旨だったと思われます。
 しかし、参加者の方々は民主党の好調さを肌身に感じているのでしょう。高木さんのあいさつにも笑い声が漏れ、民主党勝利、政権交代間近という雰囲気が漂っているようでした。

 確かに、高木さんの言うように、まだ、何が起きるか分かりません。油断は禁物です。
 この日、麻生首相は新潟を訪れ、街頭演説の前に横田めぐみさんが拉致された現場を視察しています。北朝鮮の暴挙や愚行を総選挙に利用しようという意図が見え見えです。
 「困ったときの北朝鮮頼み」というのが、これまでの自民党のやり方でした。北朝鮮が、このような目論見にはまるような暴挙を繰り返さなければ良いのですが……。