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12月20日(日) 労働総研創立20周年記念シンポジウムへの参加 [労働]

 昨日、労働運動総合研究所(労働総研)http://www.yuiyuidori.net/soken/の創立20周年を記念してのシンポジウムとレセプションに出席してきました。レセプションでは、「労働総研創立20周年、おめでとうございます。私どもの研究所は、それよりも少し古くて、今年、創立90周年を迎えました」と、挨拶させていただきました。

 労働総研は、20年前に全労連が結成されたのにともない、1989年12月11日に創立されました。「運動の発展に積極的に寄与」することを目的にした、全労連のシンクタンクにあたります。
 最近では、「大学生の労働組合観について」のアンケート調査や大企業の「内部留保」についての試算と緊急提言などを行っています。とくに後者の試算では、「内部留保が急膨張したのは1998年度以降」で、それからの「10年間で218.7兆円も積み増しし、2倍以上になっている」ことを明らかにしてマスコミの注目を浴びました。
 この試算は『2010年国民春闘白書』に詳しく掲載されていますが、その内容は『日刊ゲンダイ』にも引用され、記事になっていました。私の札幌学院大学での講演で使わせていただいたのが、この記事です。

 記念シンポジウムは「人間的な労働と生活の新たな構築をめざして」というテーマで、牧野富夫日大名誉教授(労働総研代表理事)をコーディネーターに、ダイハツ雇用問題を考える会の柴田外志明さんが「トヨタ式労務管理下の労働現場」、ジャニック・マーニュ共立女子大教授が「フランスの労働者家庭とその生活」、暮らしと経済研究室主宰の山家悠紀夫さんが「働くルールの確立と日本経済」、小田川義和全労連事務局長が「労働組合の課題とたたかいの展望」について、それぞれ報告されました。
 最初に問題提起された牧野先生は、90年代の半ばからおかしな社会になってしまったことを指摘され、「経済的ゆとり、時間的ゆとり、心身の健康」の重要性を強調されました。
 柴田さんは、トヨタ式の労務管理が進んでいるダイハツの労働現場におけるSSC(シンプル・スリム・コンパクト)化の問題点を明らかにしました。その中で、欠陥車に対するリコールの増大は人を育てていないところに原因があること、それによって100億円の損失が出ているが、このような問題は非正規労働者を正規化して技術力を向上すれば解決できることだと発言されたのは、大変重要な指摘です。

 フランスから日本にやってきて共立女子大で教えているマーニュさんは、フランスでの子育てに対する手厚い支援措置を紹介されました。日本で生まれたお子さんがフランスの大学で学び、1年間にかかったお金がたったの3万円だったと発言されたときには、会場から大きなどよめきが漏れました。夏休みにお子さんが参加した1カ月のサマーキャンプも、費用はたったの4万円だったそうです。
 山家先生は、企業が儲かるような構造に改革すれば経済は活性化するというのが構造改革で、それは全くの嘘だったとして、労働や生活に関わるどの統計も98年から悪化し続けていることを指摘されました。また、日本の労働者では午後6時までに帰宅する人が6.8%しかいないのにスウェーデンでは70.9%が帰宅していること、逆に、午後8時以降帰宅する人が日本では61.4%もいるのに、スウェーデンではたったの1.8%にすぎないことが紹介され、彼我の違いに唖然とさせられたものです。

 労働運動の課題と展望について発言された小田川さんは、労働時間の弾力化や派遣労働の拡大など、時短や雇用増という一見良さそうに見える政策が打ち出されると同時に、その抜け道も具体化されてきたと発言されました。これは重要な指摘だと思います。
 また、雇用の安定、生活できる働き方の実現、各種セーフティーネットの整備、社会保障の底上げなどの課題を示し、多国籍化や国際化の下での公正な競争基準、非正規労働者の組合加入による組織率の向上、温暖化防止のための深夜営業の是正など環境に優しい働き方の実現などを手がかりに新たな運動の高揚をめざしたい、春闘との関連では、景気後退による深刻な影響が出てきているけれど、「今こそ賃上げを」という世論を盛り上げたいとの決意を示されました。

 外需依存による景気悪化やデフレ・スパイラルからの脱出のカギは、賃金を上げて可処分所得を増やし、内需を拡大することにあると思います。不況宣伝に惑わされたり、萎縮したりせず、攻勢に転じてもらいたいものです。
 なにしろ、大企業の内部留保は「10年間で218.7兆円も積み増しし、2倍以上になっている」のですから……。支払い能力がない、などと言わせてはなりません。

12月19日(土) 棚橋小虎のご遺族宅訪問とワーキング・ペーパー『棚橋小虎日記(昭和二十年)』の刊行 [日常]

 昨日、棚橋小虎のご遺族である牛山敬二北海道大学名誉教授のお宅を訪問しました。この度、研究所のワーキング・ペーパーとして、『棚橋小虎日記(昭和二十年)』を刊行したご挨拶とお礼のためです。
 というのは、2003年5月に、棚橋小虎の日記など関係資料を寄贈していただいたからです。今回刊行されたワーキング・ペーパーは、この日記の一部を翻刻したものです。

 牛山先生は農業経済学を専攻され、東京教育大学を卒業されています。その時の恩師が暉峻衆三先生だったとうかがい、大原社会問題研究所との浅からぬ縁を感じました。
 というのは、暉峻衆三先生は暉峻義等のお子さんで、その暉峻義等は大原孫三郎が創立した労働科学研究所の初代所長にあたります。そして、この労働科学研究所は大原社会問題研究所から分かれて設立されたもので、暉峻義等も労研の創立までは大原社研の所員だったのです。
 また、暉峻衆三先生の奥様は『豊かさとは何か』という岩波新書で一斉を風靡した暉峻淑子先生ですが、この方は法政大学の大学院を修了されています。つまり、法政大学大原社会問題研究所は暉峻衆三先生とも、その奥様とも浅からぬつながりがあるという関係になるわけです。

 しかも、棚橋小虎の縁戚には、毎日新聞記者の岸井成格さんとともに、米谷匡史東京外語大準教授もおられます。その米谷さんは、10月から大原社会問題研究所の客員研究員として研究所に来られています。
 3日前の水曜日、研究所の忘年会でご一緒し、二次会にまでお付き合いいただきました。この話を牛山先生にしましたら、大変驚き、また喜んでおられました。
 これは全くの偶然ですが、何となく「ご縁があったんだなー」という気がしております。泉下の棚橋の引き合わせなのかもしれません。

 なお、今回刊行されたワーキング・ペーパー『棚橋小虎日記(昭和二十年)』は一般にも販売しておりますので、購入ご希望の方は大原社会問題研究所 oharains@s-adm.hosei.ac.jpまでお申し込み下さい。これ以外の各種ワーキング・ペーパーhttp://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/wp/index.htmlも購入可能ですので、研究所までお問い合わせいただければ幸いです。
 この『棚橋小虎日記(昭和二十年)』に、所長としての「はしがき」を書きました。資料の内容や受贈の経緯、ワーキング・ペーパー刊行の背景などについて書いていますので、以下に紹介させていただきます。

『棚橋小虎日記(昭和二十年)』はしがき

 このワーキング・ペーパーは、棚橋小虎の膨大な日記の一年分を翻刻し、解説を付したものである。棚橋小虎は、1889(明治22)年1月14日に長野県松本町(現松本市)に生まれ、1973(昭和48)年2月20日に死去した。享年84歳である。
 棚橋は、三高、東京帝国大学を卒業し、戦前は、新人会などの学生運動、友愛会、日本労働総同盟などの労働運動にかかわり、日本労農党の結成にも参加した。戦後は日本社会党の結成に関与し、その後、民社党に移っている。1946(昭和21)年、社会党から衆議院議員に当選し、のち参議院議員となった。戦前から戦後にかけて、労働運動や政治運動に関与した大正~昭和時代の社会運動家であり、政治家である。
 大原社会問題研究所は、この棚橋小虎に関連する多くの資料をご遺族から寄贈され、所蔵している。その全容は、研究所ウェッブ・サイト「大原デジタルアーカイブス」の「棚橋小虎関係文書」http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/own/tanahashi.htmlで知ることができる。この所蔵資料の中には、明治55年1月1日に始まり昭和48年2月19日までの日記69冊をはじめ、自筆原稿や印刷物、ノート類などが含まれている。なかには、各種の辞令やベルリン大学学生証などの珍しいものもあり、467通に上る書簡や46葉の写真もある。
 今回翻刻されたのは、このうちの日記であり、それも1945(昭和20)年一年という限られた期間のものである。この年が選ばれたのは、いうまでもなく敗戦の年だからであり、この激動の時代を、社会運動家としての棚橋がどのように生きたのかを明らかにするためであった。戦中から戦後にかけての庶民の記録としても、社会運動家の記録としても稀有であり、極めて興味深い歴史資料となっている。
 この日記の翻刻は、法政大学文学部の長井純一教授が担当された日本近代史演習の成果であり、この作業に加わったのは渡辺穣氏ら大学院生4人と学部生23人であったという。判読困難な自筆の日記を解読し、このような読みやすい形で翻刻するのは大変な作業であり、その労に感謝したい。また、当研究所の資料が、このような形で紹介され、研究の発展に寄与することができるようになったことを喜びたい。日記を残した泉下の棚橋小虎も、その資料を研究所に寄贈されたご遺族も、さぞかし満足されているにちがいない。

12月18日(金) 鳩山首相はどちらの道を選ぶのか [首相]

 「囁かれる来春の『首相辞任』」などという物騒な見出しが目に入りました。「まさか」とは思いますが、それほど鳩山政権の前途には難問が山積しているということでしょう。
 でも、別の見方をすれば、これは鳩山首相にとっての大きなチャンスです。難問中の難問とされている来年度予算編成と普天間基地の移設問題で指導力を発揮することができれば、日本国内はもとより全世界に強烈なリーダーシップをアピールすることができるからです。

 そのためには、「国民からの要望」をひっさげて首相官邸に乗り込んできた小沢民主党幹事長の言う通りになってはなりません。小沢幹事長をしのぐ指導力を発揮することによって、最終的な権力がどこにあるかを明示することが必要です。
 また、普天間基地の辺野古への移設という現行案の忠実な履行を求めているアメリカの言いなりになってはいけません。日本国民の民意を踏まえてアメリカを説得し、アメリカに対して「対等」にモノが言えることを証明することが必要です。
 さらに、予算編成や外交交渉のシナリオ作りあるいは下準備で画策している財務省や外務省などの官僚の筋書き通りに行動してはなりません。官僚の思惑通りにならないことで、「政治主導」の本来の姿を明らかにする必要があります。

 これらを達成できるかどうか。鳩山首相にはそれが試されているのです。歴史による試練と言うべきでしょうか。
 それが達成できれば、名宰相として歴史に名を残すことになるでしょう。民主党中心の政権基盤は盤石なものとなります。
 そうできなければ、やはり歴史に名を残すことになるかもしれません。その場合には、最悪のダメ宰相としての汚名ではありますが……。

 どちらが、鳩山さんにとって望ましいものであるのか。考えるまでもないでしょう。
 日本の政治や21世紀における進路にとって、どちらの方が好ましいものであるかも明瞭です。どうか選択を誤らないで欲しいと、切に願っています。

 もし、鳩山首相に政治家としての野心があるのなら、堂々と歴史の試練にチャレンジし「首相辞任」などという予測を覆してもらいたいものです。政権交代と政策転換を実現し、21世紀の日本の新しい進路を切りひらいたトップ・リーダーとして、歴史に名を残す絶好のチャンスなのですから……。

12月17日(木) 天皇の「公的行為」の曖昧さ自体が問題 [天皇]

 中国の習近平国家副主席と天皇との会見が問題になっています。「1ヶ月ルール」を破ってムリに会見を実現したのは、天皇の政治利用ではないのか、というわけです。

 自民党の谷垣総裁や安倍元首相がかみつき、これに民主党の小沢幹事長が恫喝的な反論を行いました。皆さんもご存じのように、マスコミでも様々な論評がなされています。
 そこに、「元首相、自民党の方から要請が首相官邸に届いた」という前原国交相の証言が飛び出し、問題は新しい展開を見せました。というのは、この「元首相」というのは中曽根康弘元首相のことだという憶測が流れているからで、もし、そうだとすれば、自民党は振り上げた拳の落としどころに迷うことになるでしょう。

 問題はどこにあるのでしょうか。まず、確認する必要があるのは、外国要人との会見は天皇の国事行為には含まれていないということです。
 天皇の国事行為は憲法第6条と第7条で定められていて、「外国の大使及び公使を接受すること」などはありますが、要人との会見は含まれていません。この点で、民主党の小沢幹事長の発言は過っています。
 天皇には、この国事行為と純粋な私的行為との間に、「公的行為」という範疇があります。これについて、宮内庁は「公的な性格を持つ行為。国政の権能にわたらないよう、国事行為に準じて内閣の助言と承認を受ける」と定義していて、今回の習近平国家副主席との会見は、この「公的行為」にあたります。
 実は、これら「国事行為」「私的行為」「公的行為」の関係について、私はずっと以前に私見を明らかにしています。拙著『概説・現代政治〔第三版〕』(法律文化社)23~24頁で、私は次のように書いています。

 天皇の行為には、「国事行為」と純然たる「私的行為」のほかに、憲法第1条の「象徴」規定から必然的に生ずる「公的行為」があるというのである。しかし、この「公的行為」の内容は何か、その限界はどこにあるのか、などについては明らかではない。それは、政府の解釈にまかされており、時の政府が必要とする限りで、天皇の「公的行為」の範囲は伸び縮みする。

 というわけで、今回もまた、「時の政府が必要とする限りで」天皇の「公的行為」の範囲が伸び縮みしたわけです。このようなことは許されず、「公的行為」の範囲は可能な限り限定されるべきだと、私は考えています。
 それは、天皇制と天皇の存在自体、政治的な性格を帯びざるを得ず、「公的行為」は、常に、政府による政治利用の可能性を孕んでいるからです。今回の会見も「天皇の政治利用」としての性格がありますが、政府を攻撃する材料としてそれを利用することもまた、別の意味での「天皇の政治利用」だということになるのではないでしょうか。

 なお、この問題に関連して、ブログの「コメント」欄に執拗に記事を貼り付けた方がおられます。私が書いている内容と無関係な記事を勝手に貼り付けたりすることは止めていただきたいものです。

11月12日(土) 今年一年間に書いた論攷などは25本、新聞・週刊誌での談話8点、『日刊ゲンダイ』でのコメント(10月末現在)は44回 [日常]

 嬉しいじゃありませんか。昨日、研究所に出勤したら、伏見の銘酒が届いていました。
 京都総評のBBさんからです。

 BBさんには、昨年の9月20日、京都総評第3回地域ユニオン交流集会に呼んでいただき、今年は6月28日の京建労第15期労働学校でもお世話になりました。この時も、講演が終わってから伏見の銘酒を送ってくださいました。
 ありがとうございます。私以上に酒好きのカミさんや、研究所の皆さんと一緒に呑ませていただきます。

 9日のブログで、今年一年間の講演や研究会での報告について書きました。アップし忘れたものが一つありましたので、以下に追加しておきます。

・4月22日 大原社会問題研究所月例研究会「労働の規制緩和と再規制」

 研究所の月例研究会で報告していたのを忘れていました。あまりにも、身近でありすぎたということでしょうか。
 これで、研究会での報告が1本増えましたので、今年一年間の講演は24回、学会・研究会での報告・コメントは5回、あいさつは10回で計39回ということになります。

 さて、これに引き続いて、今回は今年一年間に書いた論攷などについての記録をアップすることにしましょう。前回に習って記せば、今年一年間に書いた論攷などは25本、新聞・週刊誌での談話は8点、『日刊ゲンダイ』でのコメント(10月末現在)は44回ということになります。
 その詳細は、以下の通りです。

 まず25本の論攷です。

・こうして貧困は作られた-派遣法に焦点を当てた労働法制の変遷、『週刊金曜日』2009年1月30日付
・いま賃上げが必要な3つの理由『ひろばユニオン』3月号
・雇用と規制緩和-労働法制の変遷を振り返る『東京保険医新聞』3月25日付
・いま組合は反転攻勢を『連合通信・特信版』No.1032、2009年4月20日付
・労働組合に何ができるか-恐慌下、大量解雇と貧困のなかでレイバーネット日本4月例会・講演録(09年4月20日)
・新自由主義と労働政策-労働再規制に向けての動きを中心に『経済科学通信』No.119(2009年4月号)
・「再規制」のゴールを見つめる―「再規制」はタクシーの専売特許に非ず『交通界』第300号特集記念号、2009年5月号
・規制緩和と労働問題『歴史地理教育』2009年6月号
・「安心社会」実現のための安全網の整備、『労政時報』第3754号、09年7月24日号
・今日の貧困と格差『労働の科学』64巻7号(2009年7月号)巻頭言
・緑のニューディールと福祉のニューディール『ELDER』2009年7月号
・私は「格差論壇」MAPをどう見たか『POSSE』第4号
・現在の情勢と労働組合の役割『けんせつ』第1932号(8月1日付)
・政権交代で「反転」はどこまで可能か『週刊金曜日』8月28日付
・書評:山田敬男著『新版 戦後日本史-時代をラディカルにとらえる』学習の友社『経済』2009年8月号
・新政権への期待と注文 労働と生活の改善を『連合通信・特信版』(No.1041、2009.9.20)
・労働の規制緩和-いまこそチェックすべきとき『職場の人権』9月号(第60号)
・心に残る私の一冊 私の人生を決めた『戦争と平和』『企業と人材』42巻955号(2009年10月5日)
・戦後労働運動の第3 の高揚期を生み出す新たな条件が生まれている『日本労働研究雑誌』10月号巻頭言
・新政権への注文と社民党への期待―「生活が第一」「生活再建」を貫いて欲しい『月刊 社会民主』10月号
・「反転」へのとば口に立つ民主主義-政権交代後の課題とは何か『アジア記者クラブ通信』208号(2009年11月5日付)
・活路は「技術立国」に向けた人材の育成しかない『産業訓練』2009年11月号
・新連立政権の樹立と労働組合運動の課題『金融労働調査時報』No.701(2009年11・12月号)
・鳩山新政権への期待と問題点『国公労調査時報』No.564(2009年12月号)
・新政権発足後の情勢と運動の課題『月刊民商』2010年1月号(近刊予定)

 実は、書いた原稿はまだあります。地元の八王子革新懇話会の機関紙『革新懇話会』に何本か書いていますが、調べるのが面倒なので掲げてありません。
 また、来年刊行予定のものが4本あります。大原社会問題研究所叢書、『労務理論学会誌』第19号、『歴史評論』、『法政大学報』の原稿です。
 これらについては、来年、刊行された後、ここにアップすることにします。

 続いて、新聞・週刊誌での談話です。これは以下の8点です。

・過去の利益を分配せよ『北海道新聞』2月1日付
・今こそ政治決断する時『毎日新聞』3月25日付夕刊
・職務権限大きい自民議員 捜査せねば漆間発言が的中に『週刊朝日』2009年4月10日号
・「小泉の影」におびえ 改革めぐり党内に亀裂『埼玉新聞』『東奥日報』『佐賀新聞』6月25日付
・生活支援 今頃言っても……『山陰新聞』『四国新聞』『中国新聞』『東奥日報』『新潟日報』『西日本新聞』『南日本新聞』8月1日付、『埼玉新聞』『信濃毎日新聞』8月2日付
・政界の底流にあり続ける「革新」『毎日新聞』8月19日付夕刊
・中小企業も支援すべき『朝日新聞』西部本社版2009年10月9日付
・格差は政治の責任『産経新聞』2009年10月21日付

 この他、夕刊紙『日刊ゲンダイ』でのコメントがあります。これは10月末現在で44回とかなりの数に上りますが、掲載号は以下のようになっています。

 1月6日付、1月16日付、1月29日付、2月7日付、2月13日付、2月18日付、2月20日付、3月3日付、3月4日付、3月13日付、3月20日付、3月24日付、4月3日付、4月6日付、4月16日付、5月2日付、5月13日付、5月26日付、6月3日付、6月5日付、6月8日付、6月13日付、6月22日付、6月25日付、7月3日付、7月14日付、7月27日付、7月28日付、7月30日付、8月3日付、8月4日付、8月19日付、8月22日付、8月26日付、9月2日付、9月3日付、9月4日付、9月7日付、9月8日付、9月25日付、9月26日付、10月9日付、10月14日付、10月21日付

 これに11月分と12月分が加わりますから、多分、50回前後になるでしょう。9月には、1カ月に7回もコメントしていますが、これも政権交代の余波ということになりましょうか。

 なお、12月7日(月)に札幌学院大学で行った2009年度法学部講演会のビデオが公開されています。http://www.sgu.ac.jp/inf/sss/html/event2009-1207.htmlにアクセスすれば私の講演を聴くことができますので、ご笑覧いただければ幸いです。


12月10日(木) 労働組合の組織率も反転した [労働組合]

 嬉しいじゃありませんか。「反転の構図」に、また新しい項目が付け加わりました。
 長年の間、低下を続けていた労働組合の組織率が上昇したのです。このような形での反転こそ、私が密かに期待していたことです。

 厚生労働省は、全国の労働組合の推定組織率(雇用労働者に占める労働組合員の割合)が6月末現在で対前年比で0.4ポイント増の18.5%だったと発表しました。1976年以降減少を続けてきた労働組合の組織率が、34年ぶりに上昇へと反転したのです。
 報道では、組合に入っていない契約や派遣などの非正規労働者が不況で大量に失業したために雇用労働者が110万人減って5455万人となったのが主な要因であると指摘されています。分母が減ったから、組織率が増加したというわけです。
 しかし、それだけではないでしょう。分子となる労働組合員数も1万3000人増え、労働組合員は1007万8000人となっているのですから……。

 なかでも、パート労働者の組合員数は8万4000人増えたといいます。それだけ増えたのに増加数が1万3000人だというのはおかしいと思われるかもしれませんが、退職したり辞めたりクビを切られたり、ということで組合員が減っているからです。
 労働組合員の組織率が増えるためには、減少を上回る数の人々が労働組合に入らなければなりません。また、分母となる雇用労働者がその増加率を上回るほどに増えないことも必要です。
 今回は、一方で分母となる雇用労働者が減り、他方で分子となる労働組合員数が増えたために、前年度の組織率を0.4ポイント上回ることになりました。組合員を増やした労働組合の努力を高く評価したいと思います。

 私は、『日本労働研究雑誌』10月号の巻頭言として、「戦後労働運動の第3の高揚期を生み出す新たな条件が生まれている」という論攷を、期待を込めて書きました。その一つの表れが、今回発表された労働組合組織率の反転です。
 この論攷では、「戦後第3の高揚期を迎える可能性と条件をもたらすかもしれない」として、「非正規労働者の多くは、既存の労働組合に加入したり、新たに労働組合を結成したりしている」ことを指摘しました。今回の厚生労働省の発表は、この私の直感的な指摘を、事実をもって裏付けたことになります。
 今年が「第3の高揚期」となることを願っています。組織率だけではなく、労働組合運動自体の大きな高揚を期待したいものです。

 なお、この労働組合組織率の反転が「34年ぶり」であったことにも、注目すべきでしょう。34年前といえば、1975年のことになります。
 これについても私は、「75年に8日間にわたって実施された『スト権スト』は、戦後労働運動が攻勢から守勢へと追い込まれる分岐点になった」と書いたことがあります。山田敬男さんが書かれた『新版 戦後日本史-時代をラディカルにとらえる』の書評で、雑誌『経済』の2009年8月号に掲載された論攷です。
 ここにも書いたように、戦後労働組合運動は大きく二つの時期に分かれるというのが、私の理解です。1975年を境に、攻勢から守勢へと転換したのです。

 この労働組合運動の攻勢から守勢への転換にともなって、労働組合の組織率も1975年を境に上昇から減少へと転換したということになります。そしてそれが、今年2009年に、34年ぶりに上昇へと転じたというわけです。
 戦後労働運動の守勢の時期は終わったのでしょうか。攻勢へと転ずる時期が訪れたのでしょうか。
 少なくとも、それを期待させるような朗報です。今後、雇用労働者が増えてもなお、労働組合組織率が上昇を続けるような本格的な反転が訪れることを願っています。

 そうなれば、「戦後労働運動の第3の高揚期」は、現実のものとなるでしょう。大きな期待を抱きながら、今後の労働組合運動の推移を見守りたいと思います。

12月9日(水) 今年一年間の講演は24回、学会・研究会での報告・コメントは4回、あいさつは10回で計38回 [日常]

 今年予定されていた講演は、全て終了しました。私の健康などを心配して、一部には「やり過ぎではないか」という声もあります。

 しかし、このような社会的要請に応えるために、私は研究者になりました。労働・社会運動の課題を解明し、方向を明らかにして運動にかかわっている人々を勇気づけることこそ、私が研究者となった目的なのです。
 どう言われようと、このような目的を断念したり、社会的な活動を手控えたりすることはできません。いかに批判されようとも、どのような犠牲を払ったとしても……。

 ということで、乞われるままに講演などを引き受け、力の及ぶ限り話をしてきました。今年一年で、講演は24回、学会・研究会での報告・コメントは4回、あいさつは10回で計38回になります。
 その詳細は、以下の通りです。

・1月17日 全労協結成20周期年レセプション「あいさつ」
・1月30日 愛労連学習会「労働再規制によってル―ルある社会の実現を」
・1月31日 国分寺市本多公民館人権講座「職場で何が起きているのか―職場の人権を考える」
・2月19日 労働者教育協会「戦後労働組合運動と政治闘争―論点の提起に代えて」
・2月21日 贅沢な勉強会ふなばし「人間らしい働き方の実現をめざして―『労働再規制』をめぐる諸問題」
・2月28日 MIC(日本マスコミ文化情報労組会議)シンポジウム基調講演「守ろう雇用 活かそう憲法 今,マスメディアに求められているもの―滅びへの道から抜け出すために」
・3月3日 時局懇談会(第5回)「混迷する政局の深層を探る―構造改革路線からの決別をめぐって」
・3月5日 全労協全国一般なんぶ春闘講座「労働再規制によるルールの再建―反転攻勢の構図をどう描いていくのか」
・4月13日 日本外国特派員協会「現在の労働条件・賃金問題を含む雇用問題について」
・4月17日 立川社会教育の会「あいさつ」
・4月18日 日本フェミニスト経済学会2009年度大会「あいさつ」
・4月20日 レイバーネット日本4月例会「労働組合に何ができるか―恐慌下、大量解雇と貧困のなかで」
・5月9日 東京労働学校第115期基礎教室「この社会を変える展望―働くルールの確立と社会保障の充実を」
・5月14日 千代田9条の会「『活憲』から見える労働権・生存権―第9条や25条などの掲げられた憲法の理念を生かすには」
・5月16日 法政大学大原社会問題研究所国際交流研究会「あいさつ」
・5月30日 「職場の人権」研究会第116回研究会「労働の規制緩和―今こそチェックすべきとき」
・6月7日 東京土建幹部学校「情勢の特徴と労働組合の役割」
・6月13日 全大教北海道労働問題フォーラム「労働政策の転換と非正規雇用―民間部門と公共部門の対比を意識して」
・6月27日 シンポジウム「児童労働と政策課題―インドとEUの経験に学ぶ」「あいさつ」
・6月28日 京建労第15期労働学校「新自由主義の破たん、資本主義の限界―労働組合の力でピンチをチャンスに変えよう」
・7月18日 労務理論学会第19回全国大会特別シンポジウム「労働再規制の構造とプロセス」
・8月8日 私大教連教研集会「戦後日本政治の旋回と展望―構造改革と政権はどこに向かうのか」
・8月29日 雑誌『POSSE』読者セミナ―「総選挙直前に問う、雇用政策のゆくえ」
・9月24日 アジア記者クラブ9月例会「『反転』へのとば口に立つ民主主義―政権交代後の課題とは何か」
・10月3日 南大沢憲法9条の会・首都大学東京教職員9条の会「総選挙の結果と憲法運動の課題―憲法を活かす政治によって『特上の国』を作ろう」
・10月14日 第22回国際労働問題シンポジウム「あいさつ」
・10月17日 松川事件60周年全国集会「あいさつ」
・10月18日 POSSEシンポジウム「自公政権の崩壊と鳩山新政権の課題」
・10月26日 行財政総合研究所公務員制度研究会「労働組合運動から見た鳩山新政権」
・10月27日 大原社会問題研究所創立90周年記念フォーラム「あいさつ」
・10月30日 展示会「水俣病と向き合った労働者たち」オープニング「あいさつ」
・10月31日 生協労連第2回生協政策研究集会「現代社会における生協と生協労組の役割」
・11月6日 働き方ネット大阪第9回つどい「働き方をどう変えるか―鳩山新政権に注文する」
・11月12日 社会・労働関係資料協議会2009年度総会「あいさつ」
・11月14日 歴史科学協議会第43回大会・総会「グローバリズム・新自由主義と歴史学の課題Ⅲ」萩原伸次郎報告・岡田知弘報告へのコメント
・12月4日 社会的労働運動研究会「政権交代後の労働運動の課題」
・12月5日 三次労組連絡会「新自由主義がこわした産業の姿―働きがいのある仕事・明るい職場をめざして」
・12月7日 札幌学院大学法学部「新自由主義からの時代的転換―政権交代と労働政策」

 講演は、他の用事と重ならない限り、基本的には断りません。来年に向けても、すでに3~4件の要請が来ておりますが、火曜日と水曜日以外なら、お引き受けできると思います。
 講演をご依頼の際には、できるだけ早めにお願いいたします。日時については、複数の候補を提示していただければ幸いです。

12月8日(月) 今年最後の山を越えた [日常]

 北海道の旅、とは言っても、たったの一泊です。その、あっと言う間の旅から、昨晩、無事帰ってきました。
 K先生はじめ、札幌学院大学関係者の皆様には、大変、お世話になりました。ありがとうございました。

 金曜日には社会的労働運動研究会での報告で午前様。土曜日には、第三次産業労組連の講演会で懇親会に出席。
 そして、日曜日は新札幌の駅近くで、札幌学院大学関係者などの方による歓迎会と、飲み会が続きました。さすがに昨日は、酒を飲まずに休肝日です。
 もちろん、酒だけ飲んでいたわけではありません。ちゃんと報告や講演もやりましたので、ご心配なく。

 北海道は、これで今年3回目になります。春と夏に、講演で呼んでいただきました。
 今回は12月ですから、初めて冬の北海道を体験できると喜んでいたのですが、どうも、まだ秋だったようです。
 雪は全くありません。例年の根雪降雪日は12月2日だそうで、この時期に雪がないのは珍しいといいます。やはり、暖冬なのでしょうか。

 暖冬とはいえ、「食の王国」である北海道の冬には美味しいものが満載です。通風の気がある私ですから、蟹や白子は控えめに、北海道の地酒をいただきながら、お刺身やホッケに舌鼓を打ちました。
 中に、アカエイの煮付けがありました。故郷の新潟では「コンベ」と言い、私の大好物です。煮こごりになっていて、軟骨のコリコリとした食感がたまりません。
 2次会では、厚岸産の生牡蠣にレモンをかけていただきました。美味い。いつもこのような美味しい肴でお酒が飲める北海道の方が羨ましくなります。

 ということで、今年最後の山を、無事越えることができました。講演などで出かけるのは、これで終わりです。
 お正月までしばしの休息、ということになれば良いのですが……。新著を書く準備もありますが、少しはノンビリしたいものです。



12月5日(土) 韓国のテレビ局からの取材と研究会での報告・懇親と  [日常]

 昨日の昼過ぎ、韓国の毎日経済放送(MBN)テレビのクルーが研究所にやってきました。日本と韓国の労使関係や労働運動について意見を聞きたいというわけです。
 先週の金曜日、韓国聖公会大学労働史研究所の所長をされている李鐘九さんが、たまたま大原社会問題研究所に来られていました。李さんにこの取材について話しましたら、「複数組合の問題と労働組合専従への企業からの給与支払いについて聞かれますよ」と仰っていました。

 クルーは、カメラマンを兼ねたディレクターと助手、それに通訳兼コーディネイターの3人です。この通訳の方も李さんですが、「私は、法政大学の出身なんですよ」と仰います。
 社会学部の土生ゼミに所属していて、10年ほど前に卒業されたのだそうです。「そうすると、この多摩キャンパスに通われていたのですか」「そうです」
 ということで、同じ多摩キャンパス出身の卒業生から、1時間半ほどのインタビューを受けることになりました。その後、研究所が所蔵している写真や資料など、興味深そうに撮影して帰りました。

 インタビューの中では、李所長が仰っていたように、複数組合の問題と労働組合の専従への企業からの給与支払いについても聞かれました。私の答えは、次のようなものです。
 「労働組合は、通常、一つの事業所や企業内に複数存在するもので、日本や韓国などのように一企業一組合となっているのは、労働組合が公認されて一斉に結成されるというような特殊な歴史的条件によるものです。企業内に複数の組合の存在を認めなければ、現在韓国で行われている大産別化が進んでも、企業主義を克服することは難しいでしょう」
 「労働組合にとっては、自主性の確立は極めて重要で、企業はもとより政府や政党などに従属することは避けなければなりません。資金的に自立することはその第一歩でしょう。自分たちの組織ですから、自分たちで支えるというのは当然ではないでしょうか」

 このインタビューの後、夕方からは新宿にある管理職ユニオンの事務所に向かいました。社会的労働運動研究会で報告するためです。
 事務所に入ったら、NPO派遣労働ネットワーク理事で東京ユニオン執行委員の高井晃さんがこちらを向いて、「イヤー、済みません。みんな王城に行ってしまって、往生してますわ」と仰います。高井さんは、以前、大原社会問題研究所の研究プロジェクトで報告していただき、逆に、今回の報告を私に頼んできた方です。
 「ああ、王城ですか。サウナですか」「争議支援です」

 「王城」というのは、上野駅浅草口駅前にあるサウナやカプセルホテルのある施設です。経営者が一方的に事業所閉鎖と従業員の解雇を発表し、電気やガスを止められそうになりましたが、従業員が争議に立ち上がって自主営業を行っています。
 「去年は京浜ホテルで今年は王城。年の暮れだというのに、大忙しですわ」
 ということで、皆さんも是非、争議支援の入浴にお出かけ下さい。上野駅を見下ろす展望風呂があり、営業は午後5時~午前10時だそうです。

 それでも、研究会には20人ほどの方が出席されましたでしょうか。組合関係者が争議支援で出払っていたからかもしれませんが、NHKやテレビ朝日、連合通信などのマスコミ関係者が目立ちました。
 報告で私は、社会的労働運動やユニオン運動の「援軍」として、マスコミの変化や労働記者の再登場を指摘しました。この日の参加状況自体が、このような変化を実感させられるものだったと言えるでしょう。

 研究会が終わってから、近くの飲み屋で一杯、ご馳走になりました。出てきた焼酎のボトルには管理職ユニオン書記長の設楽清嗣さんの名前が書いてあります。
 お馴染みの店というわけです。同席したのは、高井さん、設楽さん、全国コミュニティ・ユニオン連合会(全国ユニオン)会長の鴨桃代さんなど、新聞報道でも名前を見かけるお馴染みの方々で、後から派遣ユニオン書記長の関根秀一郎さんも顔を出しました。
 連合会長選挙への鴨さんの立候補、派遣法改正をめぐる現状、年越し派遣村の顛末、キャバクラ嬢による労働組合結成の背景、先日行われたワンストップ・サービスの舞台裏、菅副総理の発言や動向、普天間基地移設問題での福島発言の経緯などなど、興味津々の裏話を沢山聞かせていただきました。私の報告より、こちらの話の方が面白かったんじゃないでしょうか。

 湯浅誠さんが内閣府の参与に決まったときの話も出ました。マスコミが、盛んに探りを入れてきたんだそうです。
 俗に言うスキャンダル探しです。今でも、身辺をカギ回っているといいます。大変ですね、湯浅さんも……。
 でも、「彼はきっちりしているから、何も出てこないよ」と、皆さん異口同音に仰っていました。「設楽さん、あなたがそう言うから、かえって裏があるんじゃないかと疑われるんじゃないの」

 誰かがこう言って、一同、大爆笑です。帰宅が午前1時近くになりましたが、楽しい夜でした。

12月3日(木) 政権交代による大きな成果も生まれている [政権交代]

 気がついたら、師走に入っていました。私ども教員にとっては、走り回らなければならない季節ということでしょうか。
 今日は、もう3日になってしまいました。街路樹の木々も葉を落とし、紅葉の季節も終わりを告げています。

 今年の流行語の発表がありました。大賞を受賞したのは「政権交代」という言葉です。 日本近代史始まって以来の明確な政権交代の実現ですから、それも当然でしょう。選者のセンスを評価したいと思います。
 その「政権交代」から約80日が過ぎ、鳩山新政権の成果や弱点が明らかになってきています。すでに弱点については指摘しましたので、今回は成果について書かせていただきましょう。

 成果の第1は、新しい法律の制定です。臨時国会の最終盤で、鳩山新政権による新しい法律が次々と成立しています。
 これらは基本的に、これまでの自公政権では実現できなかったものであり、国民生活を守り支援するために大きな力を発揮することが期待されます。

 その第1は、中小企業を支援するための中小企業等金融円滑化法(返済猶予法)です。中小企業に対して返済猶予など債務の条件変更に応じるよう金融機関に促すもので、全会一致で可決・成立しました。
 これは政権交代後の臨時国会で初めて成立した法律であり、記念すべき第1号でした。景気悪化によって借金の返済に四苦八苦している中小企業にとっては、まさに干天の慈雨とも言うべき法律でしょう。
 これで一息ついて、体力を回復してもらいたいものです。地域経済を支えている中小企業の蘇生こそ、日本社会再建の第一歩なのですから……。

 第2は、肝炎対策基本法の成立です。ウイルス性肝炎の患者支援と医療体制の整備を盛り込んだもので、これも全会一致で可決・成立しました。
 ウイルス性肝炎患者・感染者は全国に約350万人いるとされています。これらの人々にとっては、長年の悲願が成就した瞬間でした。
 このような当然の対策が、どうしてこれまで実現できなかったのかということの方が不思議です。いかに自公政権が命と健康を軽視する政権であったかが、この一事に象徴されていると言って良いでしょう。

 第3は、原爆症救済法(基金創設法)の成立です。これは12月1日午後の衆院本会議で、自民党を除く全会一致で成立しました。
 原爆症認定をめぐる集団訴訟の原告約300人全員を救済するため、3億円の補助金を元にした基金の設立などが盛り込まれています。原爆症認定集団訴訟全国原告団の山本英典団長は、都立大学時代の塩田ゼミの大先輩です。良かったですね、山本先輩!! これで長年の苦労が報われましたね。
 これについても、肝炎対策基本法と同じ問題が指摘できるでしょう。どうしてこれまで、このような当然の法律が制定されなかったのか、という問題が……。

 第4は、郵政民営化の見直しに向けての郵政株売却凍結法案です。これは衆院を通過した段階ですが、明日には成立するとみられています。
 この法案は、政府が保有している、持ち株会社「日本郵政」、「ゆうちょ銀行」、「かんぽ生命保険」の株式や、「かんぽの宿」などの施設の売却を、あらためて法律で決めるまで凍結するというものです。12月1日、自民党が欠席するなか午後の衆議院本会議で採決が行われ、民主党などの与党と共産党などの賛成多数で可決され、参院に送られました。
 小泉構造改革の「本丸」は落城寸前というところでしょうか。郵政民営化の「反転」も、政権交代がなければ実現不可能だったことは明らかです。

 このような新しい法律の制定以外にも、具体的な施策として評価できるものがあります。これも以前の自公政権では実現できなかったことであり、政権交代による成果であると評価して良いでしょう。

 その第1は、事業仕分けです。これについては、賛否両論が寄せられています。
 厳しい指摘と官僚への追及の激しさに、「これでは仕分け人というより、仕置き人ではないか」とか、仕分け人には労働の規制緩和の急先鋒だった福井秀夫政策研究大学院大学教授なども含まれており、「まず、仕分け人の仕分けが必要だったのではないか」などと言いたくなります。
 しかし、このような事業仕分けが国民の目の前で行われたということはかつてなかったことであり、それによってムダな事業が削られ、予算編成の透明化に役立ったことは否定できません。予算の使われ方に対する国民の関心が急速に高まったのも、大きな成果でしょう。
 元々利益が上がるはずのない事業に対して収益や効率性を問題にしたり、大学関連の文教予算や科学技術予算、文化・スポーツ関連の予算が削られたりという問題はありますが、それでも事業仕分けを行ったこと自体は評価できるのではないでしょうか。

 第2は、生活保護受給者に対する母子加算制度の復活です。民主党がマニフェストに盛り込んでいたものですが、これで助かった人も多かったでしょう。
 厚労省によると、支給対象は18歳以下の子どもを養育する母子家庭と父子家庭の計約10万世帯に上ります。子どもは約18万人になります。
 母子加算は、自公政権によって05年度から段階的に減らされ、今年3月で廃止されていました。とりわけ困難な状態にある1人親世帯に対する手厚い支援は当然のことであり、その復活も政権交代あったればこそ、だったと思います。

 第3は、ハローワークの窓口でのワンストップサービスの実施です。これは、職業紹介と住宅相談、低所得世帯に生活費を貸し付ける生活福祉資金や生活保護の相談、保健所による「心の健康相談」などを一つの窓口で実施するというものです。
 11月30日、17都道府県77カ所のハローワークの窓口で開催されました。今回はこの日だけですが、年末年始の実施や定期開催も目指し、自治体の協力を得て今回できなかった県でも実施する方向だといいます。
 菅直人副総理兼国家戦略担当相は「できれば年末にかけてもっと継続的にできないか、相談していきたい」と述べています。昨年末のような「年越し派遣村」の再現が必要とならないように、今から万全の態勢で臨んでもらいたいものです。

 さらに、この他にも政権交代によって生じた副次的効果もあったように思われます。自公政権の時代から継続され懸案だった問題でも、政権交代という時代の変化を受けて新しい局面が開かれているように思われます。

 たとえば第1に、鞆の浦の埋め立て反対訴訟についての広島地裁での判決を挙げることができるでしょう。広島県福山市の景勝地「鞆の浦」で県と市が進める埋め立て・架橋計画について、県知事は県と市に対して埋め立て免許を交付しないよう命ずる判決が下され、埋め立てに反対する原告側の勝訴となりました。
 そればかりではありません。このような計画が行政の裁量権を逸脱したと認め、「鞆の浦の景観の価値は私法上保護されるべき利益であるだけでなく、瀬戸内海における美的景観を構成するものとして、また文化的、歴史的価値を有する景観として、国民の財産とも言うべき公益である」として、景観の価値を最大限尊重すること、景観を守ることが環境権の侵害を防ぐ大切な道筋であることを認める点で、画期的な内容を持っています。
 11月30日、広島県知事選で初当選した湯崎英彦知事は、「鞆の浦」について賛成、反対両派を含む協議の場を来年2月までに設けたいとの考えを明らかにしています。このような方向も、時代の変化を反映したものと言えるのではないでしょうか。

 あるいは第2に、沖縄密約に関する裁判での吉野証言もあります。この問題も以前からの継続ですが、公の場における密約の暴露は大きな変化だと言えるでしょう。
 沖縄返還に伴う財政負担について密約を結んだとされる文書をめぐって、作家らが国に開示を求めた訴訟の口頭弁論が12月1日、東京地裁でありました。当時アメリカとの交渉に当たった吉野文六元外務省アメリカ局長の証人尋問が行われ、吉野さんは「(秘密文書に)イニシャルでサインした」と述べ、改めて密約の存在を証言しました。
 この問題については、拙著『戦後政治の実像-舞台裏で何が決められたのか』(小学館、2003年)も取り上げています。今回の吉野証言によって拙著の記述も裏付けられたことになりますが、詳しくは、そちらをご覧いただきたいと思います。

 これに関連して第3に、普天間基地の移設問題も挙げることができます。自公政権の下では万に一つも可能性がなかった県外への移設が、選択肢の一つとして浮上しただけでも大きな前進であると言うべきです。
 これも、政権交代の成果であり、大きな変化です。この問題がどのような形で決着するかは分かりませんが、来年まで先送りし、自民党が国外移設方針に転換して名護市長選挙で県外移設派が勝利するなどの状況変化を待ち、世論を背景にグアムへの移設という方向で一挙に決着を図るしかないでしょう。
 これに成功しなければ三党連立に大きな亀裂が入り、鳩山政権の基盤は危うくなって連立解消などという緊急事態が生まれるかもしれません。逆に、もし成功すれば、鳩山政権と民主党の基盤は盤石となり、長期政権になることは確実でしょう。

 なお、明日の金曜日、韓国の毎日経済テレビ(MBN)の取材を受けます。韓国のテレビ局からの取材を受けるのは、これで2度目になりますが、多分、日本では放送されないでしょう。
 この日の夕方から、社会的労働運動研究会での報告を皮切りに、ほぼ3回連続で講演が予定されています。5日(土)は全農協労連・生協労連・全倉運・金融労連・全損保の5つの単産が加わる第三次産業労働組合連絡会(三次労組連絡会)のシンポジウム、6日に北海道に飛んで、7日(月)は札幌学院大学での講演です。
 お近くの方に、ご参加いただければ幸いです。関係者の皆さんにはお世話になりますが、よろしくお願いいたします。